一体どんな検討作業を経て札幌になったのか

開会が9カ月後に迫る東京五輪の準備が、IOC(国際オリンピック委員会)による突然のマラソン・競歩の会場変更発表によって大混乱している。

10月30日からはIOC、大会組織委員会、東京都、国などによる調整委員会がスタートしたが、IOC側は「札幌に移す決定をした」(コーツ委員長)と強硬姿勢を崩さず、開催都市の合意も得ないまま組織委と札幌での競技コースなどの調整に入っているのだ。なぜこの時期に、どのような検討作業を経て札幌になったのか――。

そうした多くの疑問点が残ったまま上から目線で一方的に物事を進めるIOC側の姿勢には「終戦後のGHQ(連合国軍総司令部)を彷彿とさせる」などの批判の声が渦巻いている。従来の計画通り「東京開催」を求める小池百合子都知事は猛反論を展開しているが、それを支えている世論の怒りの矛先は傲慢な「IOC指令」に対して、「NOと言えない」組織委の森喜朗会長や橋本聖子五輪相らにも向いている。

写真=時事通信フォト
国際オリンピック委員会(IOC)調整委員会と大会組織委員会、東京都などとの合同会議を前に、言葉を交わすIOCのジョン・コーツ調整委員長(左)と大会組織委の森喜朗会長=2019年10月30日、東京都中央区

突然の変更発表の過程に残る「3つの疑問点」

問題の発端は、10月17日にIOCのバッハ会長が突然、「マラソンと競歩を札幌に移すことを決めた」と発表したことだった。9月下旬にドーハで開催された女子マラソンで、高温多湿の影響により棄権者が続出したことを重視した「IOC決定」とされるが、突然の変更発表の過程には多くの疑問点が残る。

1つ目の疑問は、ドーハでの女子マラソンが終わった後の10月3日にバッハ会長自身が「(東京大会の)暑さ対策には自信を深めた」と語っていた点だ。

組織委の森喜朗会長による説明によれば、10月11日にIOC側からの電話で札幌への変更を聞いたというが、この「わずか1週間」で何が起こり、どのような検討がなされた結果、「札幌変更」にいたったのか具体的な説明はされていない。

さらにIOC側は札幌変更になった場合のマラソンコースは「札幌ドーム」を発着地点とすることを提案したものの、ドーム出入り口付近は走路としては狭い上、周辺の交通量が多いことなど「しっかりとした分析・検討があったとは言えない、あまりにも杜撰な提案」(北海道の地元紙記者)だったことも不可解だ。