数々のニュースをスクープし、問題提起も行ってきた名物編集者たちが、平成を象徴する事件の報道を担った雑誌ジャーナリズムの舞台裏を明らかにし、ネット社会で週刊誌が生き残るために何をするべきかを探る。

「気味悪い脳の工作を作った子」

【松井(司会)】今日はスクープを連発して「文春砲」を定着させた『週刊文春』前編集長(現編集局長)の新谷学さんと、2019年4月から『週刊朝日』の編集長になった森下香枝さんに集まっていただきました。

文藝春秋前社長 松井清人氏

われわれ3人の接点は、1997(平成9)年。私が週刊文春の編集長になったときで、2人と一緒に週刊文春をつくることになりました。新谷さんにとってこれまでで印象深い記事は何?

【新谷(文春)】初めて週刊文春に配属されて、最初に書いた記事が地下鉄サリン事件でした。

【松井】霞ケ関駅に向かう5編成の地下鉄でサリンが撒かれたんだけど、被害者がたくさん出た車両の状況を徹底的に取材して、活き活きと描写していた。