首都圏の人気私大が、年々狭き門になっている。少子化にもかかわらず、なぜ競争率が上がっているのか。大学ジャーナリストの木村誠氏は「原因は文部科学省の『私大の定員抑制』と『入学定員の厳格化』だ。この結果、一般入試ではなく指定校推薦を狙う生徒が増えている」という——。

※本稿は、木村誠『「地方国立大学」の時代 2020年に何が起こるのか』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/mizoula
※写真はイメージです

1960年代の大学進学率は「20%台」に過ぎなかった

戦後、大学入試のシステムは幾度か変わっている。

終戦直後、旧帝大系や官立大学、高等師範や医科大学が、そのほかの学部系と統合するなどし、日本各地に国立総合大学が誕生。私立でも総合大学が次々と誕生した。

なお終戦後しばらく、おおよそ旧帝大系からなる一期校と、地方国立大学からなる二期校とで入試が分かれていたが、一期校と二期校で関係が固定されていたわけではない。たとえば当初二期校で、2年後に一期校に移った広島大学のようなケースもある。

1960年代に入っても、短大を含めた大学進学率は20%台に過ぎなかった。そのため、各大学は高学力層を概ね想定し、各校がそれぞれ入試問題を作っていた。大学生という存在がまだエリートとされた時代と言える。

ところが1970年代、高度成長期を迎えて各家庭の経済力が上がると、短大などに進学する女子が増え、大学・短大進学率は急激に上昇。一方、大学側は他学部・他大学との類似を避けた入試問題を毎年作らねばならないことから、結果として難問や奇問が増え、高校学習からの逸脱を指摘する声が上がるようになった。またその採点に手間や時間がかかり、大学側の負担も大きくなった。