1997年、神戸市須磨区で起こった連続児童殺傷事件。その加害男性「少年A」の両親と家族を22年にわたって支え続けている羽柴修弁護士。名前を出してマスコミの取材に応じることがほとんどない羽柴弁護士の、筆舌に尽くしがたい労苦を記す――。

※本稿は、松井清人『異端者たちが時代をつくる』(プレジデント社)の第6章「『少年A』の両親との20年」の一部を再編集したものです。

写真=読売新聞/アフロ
『絶歌』神戸連続児童殺傷事件の加害男性が出版=2015年6月19日撮影

羽柴弁護士の22年

元号が令和に変わる少し前の、2019(平成31)年2月。私は、神戸市中央区にある中神戸法律事務所に羽柴修弁護士を訪ねた。

羽柴さんが、名前を出してマスコミの取材に応じることは、めったにない。表に出ることはほとんどなく、陰に回って22年間、ずっと少年Aの両親と家族を支え続けている。Aの弟二人を含む家族の落ち着き先など、生活全般をサポートし、被害者遺族への謝罪の橋渡し役となり、一時は絶縁状態だったAと両親の関係を修復しようと、ありとあらゆる手段を講じてきた。

ほぼ無償で引き受けた、その筆舌に尽くし難い22年間の労苦を、私のこの本に記しておきたい。それが神戸再訪の理由だ。

事件当時48歳だった羽柴弁護士は、もう70歳になる。

——羽柴さんはなぜ、この事件に関わることになったのですか。

「兵庫県弁護士会の中に刑事弁護センターというのがありまして、私はその委員長をしていたんです。ちょうどあの年、兵庫県に当番弁護士制度ができましてね。大変な事件ですから、容疑者が逮捕されたら派遣しよう、と事前に決めていたんです。A君が逮捕された土曜日の夜は、台風が来ていたと記憶しています。

犯人が少年だと知って、これは必ず弁護士が必要になると思い、委員長だった私を含めて四人が、先発隊として須磨警察署へ行きました。ですからA君に初めて会ったのは、逮捕されたその日、6月28日の夜です」

「エグリちゃん」という醜い女の子

——Aはどんな印象でしたか。

「普通の少年は、顔を強張らせたりして、不安な表情を見せるものですが、そういうことは当初からありませんでした。事件については認めるでもなく否定するでもなく、淡々としていました。『ちょっとこの子は、我々がいままで担当してきた少年事件の子とは違う』という認識でしたね。

当初私たちは、『本当に彼が犯人だろうか。少年一人であれだけのことができるのか』と、懐疑の念でいっぱいだったんです」

——黒ジャンパーの中年男とか、ゴミ袋を持った男とか、いろいろ目撃証言もありましたからね。

「ただ、刑事記録を全部謄写した中に、彼が淳君の遺体の頭部を鮮明に描いた絵がありました。捜査官の話によると、それほど時間をかけたわけではなく、記憶のまま一筆書きのように描いたそうです。あの絵を見たときは本当に驚きました。

それから、空想上の遊び友達だという『エグリちゃん』という醜い女の子の絵。こういうものを見るにつれ、彼の中に病的な、相当に奥の深い暗闇があることがわかってきました。7月に神戸家裁で審判が始まる時期には、彼の犯行に間違いないと思っていました」

Aが「エグリちゃん」と名付けた空想上の友達は、身長45センチぐらいの女の子。グロテスクな醜い顔で、頭から脳がはみ出て、目玉も飛び出している。エグリちゃんはお腹が空くと、自分の腕を食べてしまうという。