中国語には「憤青」という言葉がある。「怒れる若者」という意味だ。インターネット時代になった今、意味は微妙に変わり、過激なことばかり言う人間(ネットでは発言者の年齢がわかりにくいため)を指すようになった。

大前研一氏と柳井正氏の対談集『この国を出よ』を読み、特に柳井氏の発言に対し、真っ先に浮かんだのがこの「憤青」という言葉だった。

今や飛ぶ鳥を落とす勢いのファーストリテイリングの会長兼社長を務める柳井氏である。成功企業のトップとなると、たいていは自らの地位や影響力を考えて、厳しい意見を言う場合も、上手に言葉を選んで婉曲に表現しがちだ。

しかし、柳井氏は違う。ストレートなうえ、言葉遣いも過激だ。たとえば、「ただ沈没を待つだけの難破船」「自分の殻に閉じこもり、変化する環境への対応を放棄してしまった」といった表現で今の日本を語る。日本国民を「自分に不都合な情報には耳をふさぎ、戦後日本が世界に躍り出て急成長した過去の栄光を飽きることなくリプレイして自己満足し、それがこれからも続いていくと勝手に思い込んでいる滑稽な国民」と一刀両断して、「驚くほど能天気」と容赦ない批判を浴びせる。

対談の相手である大前氏も負けてはいない。日本企業を「口を開けて餌を待っている池の鯉」と切り捨てる。政治家は「有権者受けするパフォーマンスにばかり神経を使い、(政策に対する)肝心の勉強はお留守」と罵倒する。マスコミもその罵声から逃げられない。「洞察力に富んだ分析や批判を交え」、国の将来にかかわる「政策」について語るマスコミは「皆無」だ、と。

『この国を出よ』大前研一、柳井 正著 小学館 本体価格1400円+税

この2人をそこまで過激な発言に駆り立てるものは何か。それは日本という国を愛する日本人としての焦りであり「日本の危機が迫っているから」だ。その危機的な事実を言わない人が「あまりにも多い」のを目の当たりにし、「もう黙っていられない」(柳井氏)と捨て身になって、政治と国家を大いに語ろうとこの本を出したのである。

私も大いに同感する。講演先でいつも聞かれる質問の一つが、「中国経済はいつまで発展するのでしょうか」、つまり「いつ崩壊するか」と聞かれるのだ。

なぜ崩壊を期待するのか。同盟国である米国との貿易比重が13%しかなく、逆に中国との貿易比重が20%以上になっている今、中国経済が崩壊したら、間違いなく日本経済は壊滅的な打撃を受ける。そんなことも理解せず、ライバルという認識だけで崩壊を期待する。こうした現状が、グローバルな視点で経済を見ている大前氏と柳井氏を過激な発言をせざるをえない方向に走らせたのでは、と思う。

「日本を出よ」。それはこの本の書名だけではなく、日本の現状を正しく認識するために、世界を知っておけという呼びかけにも、私には聞こえる。