なぜ百田尚樹氏の『日本国紀』(幻冬舎)はベストセラーになったのか。文筆家の古谷経衡氏は「これまでのネット右翼向けの歴史本は、特定の時代に焦点を当てていた。右派論客による自称『通史本』は珍しく、そのために喝采を集めた」と分析する――。
2019年4月13日、安倍首相主催「桜を見る会」。中央が百田尚樹氏、その左が安倍晋三首相。(写真=アフロ)

歴史学科で「必ず、必ず、読め」といわれた通史本

私は2001年4月、立命館大学文学部史学科(日本史学専攻コース)に入学した。現在では名称が変わり、「日本史研究学域」に変更されたようだが、関西における私大の歴史学科という狭い範囲に限定すれば、そこそこ権威のある学究の門戸をたたいたことになる。

その際、担当教授らから、「本学で日本史を学ぶ際、これを読まないとお話にならないから、ゼミの開始までの間に必ず、必ず、読んでおくように」と口酸っぱく説諭されて購読を必須とされた書がある。

それは歴史学者・網野善彦氏らによる全26巻からなる日本通史の決定版『日本の歴史』(講談社)である。全26巻を読破するのは流石にしんどい、という諸君でも、最低でも第00巻『日本とは何か』(講談社)だけでも絶対に読んでおかないと授業についてこられないから読め、という「命令」が来た。

歴史学科を志す大学生というのは、それ以前の高校生時代から、標準的な生徒よりも日本史に対して格別の興味関心があることは自明である。当然私も、自国の歴史に小学校時代から標準以上の関心があったからこの学科に入ったわけである。だが、童貞とほとんど変わりない無垢な18歳の私にとって、半強制的に読了した網野の『日本とは何か』は、新鮮な衝撃と感動をもたらした「はじめての」日本史の通史本であり、日本史学を学ぶ上では基礎の基礎、といえる土台であった。

「網野史観は戦後左翼だ」という批判は論外

そして結果として網野の歴史観(網野史観)が、日本という国家の歴史を体系的に俯瞰する、その土台を私の中に完全に形成ならしめたことを昨日のように思い出すものでもある。

稀に、網野は東京大学の教授だから「(網野史観は)戦後左翼だ」などというバカげた批判をする自称「保守派・右派論客」がいるが、それは単純に彼らの史学的教養が低いか、単に体系的な高等教育を受けていない程度の低さが所以だから、ここでは論ずるにも値しない「論外」として取り上げない。

しかし、この日本史学の門戸をたたいたはずの私は、実に怠惰な学生であった。ゼミには一応参加するものの(しかしそれすらも、かなりさぼっていた感がある)、卒業に必須な英語授業をさぼりまくり、結局学部を7年も留年してようやく卒業証書を頂戴した。7年もあれば当然大学院にも進学できた可能性があるが、学問的怠惰の姿勢を貫いていた私は院に進むこともせず、自堕落で砂をかむような20代前半を送ったのである。