フランスでは、頰を合わせてリップ音を立てる「ビズ」というあいさつをする。キスに似た行為だが、「セクハラ」としてトラブルになることはまずない。20年前からフランスに住むライターの髙崎順子さんは「個人の感覚に委ねず、幼い頃から『嫌がる相手にはするな』と教育されている」という――。(後編、全2回)
2017年11月16日、ライトアップされたパリのエッフェル塔(写真=時事通信フォト)

頰を合わせてリップ音を立てる「ビズ」の習慣

25歳でフランスに移り住み、今年でちょうど20年目になる。

今や日常の出来事はしれっとこなせるようになったが、まだ折につけて戸惑うのが「ビズ」という挨拶をする時だ。

ビズとは「こんにちは」「さようなら」の際に相手と頰を合わせて、リップ音を立てる習慣のこと。感謝の言葉に添える場合もある。スキンシップの一環なので、ある程度近しい人としか交わさないものだが、その「ある程度の近しさ」を図るのがなかなか難しい。

親族や友人関係なら初対面でも行うが、それは絶対のルールでもない。では仕事関係ならしないのかというとそうでもなく、年齢やシチュエーション、立場や業種によっても異なる。つながる場やそこでの立場は変わらなくとも、関係性が近くなったらビズする仲になるのもよくあることだ。

その習慣のない国から来た私には、ビズの文化はなんとも曖昧で複雑に見える。パーソナルスペースに入り込んで肌と肌を触れ合わせる動作など、トラブルの元でしかないのではないか。渡仏当初そんな印象があったが、ビズが元で起こる衝突や問題に立ち会うのはまれだ。

フランス育ちの人々は、いとも自然に、その距離感や関係性に従ってビズを適用している。小さい頃からそこで育てば自然と、感覚的に身に付くものなのか……と思っていたが、そうでないことを知る機会があった。

「相手が嫌と言ったらやめなくちゃいけないのよ」

それは私の子どもが、フランスで3歳から5歳のほぼ全ての児童が通う公立幼稚園「保育学校」に在籍していた時のことだ。迎えに行った夕方、学校の玄関先で、ある保護者と先生のこんな会話を耳にした。

「お母さん、お子さんはちょっとビズやハグが過剰なので、家でも話してもらえませんか。嫌がるクラスメイトにもするんです」

当の子どもは、母親の隣にいる。母親が「あら、それはダメね」と顔をしかめると、本人は「だって僕、その子のことが好きなんだもの」と悪びれることなく答えた。かわいらしいなぁと微笑ましく見ていた私をよそに、先生とお母さんがほぼ同時に声を上げた。真剣な調子で。

「あなたが好きでも、相手は嫌がっているんでしょう?」
「ビズは強制しちゃいけないの。相手が嫌だと言ったら、あなたはやめなくちゃいけないのよ」

相手の嫌がる接触は、してはならない。社会生活で当たり前のルールではあるが、無邪気な幼稚園児にそれを強く言い聞かせる様子は私の心に響いた。そしてしばらく、そのことについて考え続けた。

フランスはこのラインが明確だから、スキンシップの頻繁な文化でも、トラブルなく済んでいるのだろう。……いや違う、スキンシップの頻繁な文化だからこそ、このラインを強く明確に引く必要があるのかもしれない、と。