奄美大島(鹿児島県)では20年ほど前まで、土葬された遺骨を海水などで清める「洗骨」が行われていた。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「こうした風習には死に対するケガレ(不浄)思想がある。これは古代から続く天皇の葬送法である殯(もがり)とも共通する。その負担は大きく、上皇の葬送は土葬から火葬に変わることになった」という――。
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天皇の葬送にもつながる、いにしえから受け継がれてきた風習

私は先月、奄美大島(鹿児島県)を訪れた。島の葬送や、宗教事情を調べて回るためだ。

奄美は沖縄と本土の両方の葬送文化が混じった、宗教学的には特殊な場所である。奄美での埋葬は、近年まで土葬の形態をとっていた。それは天皇の葬送にも繋がる、いにしえから受け継がれてきた風習である。しかし、かろうじて南西諸島で残っていた“本来の葬送”が今、失われつつある。

ひとつの原因は過疎だ。

奄美大島の人口は6万人ほど。この30年ほど人口減少が続いており、このままでは2060年には3万2000人ほどにまで落ち込むとの試算もある。

奄美の村墓地を見回ると、さお石(戒名などを彫った角柱の石)が倒されている。これは島における「墓じまい」だ。離島では石材の運搬などの問題がある。墓石を完全に撤去する手間を省き、島を去る際にはこうしてさお石を象徴的に倒していくのだ。倒されたさお石はあちこちで目につく。島の人口が減っていることを物語っている。

奄美では2000年初頭まで土葬の風習が残っていた(立神作造著 論文『奄美大島における葬送祭祀儀礼の実践 龍郷町円集落の事例研究から』)。日本は戦後、火葬場の整備とともに急速に火葬率が上昇。現在、世界トップの火葬率(99.99%)を誇る。今でも日本で土葬が残るのはイスラム教徒を埋葬するケースや、ごく一部の集落のみである。したがって、奄美は日本の土葬文化の終焉の地なのだ。

土葬された遺骨を取り出して海水などで洗い清める

その土葬文化には興味深い特徴がある。

死人を埋葬してから3年以上(3年、5年、7年の節目で)経過すると、洗骨を伴う改葬(遺骨の移動)を行うのだ。

洗骨は土葬された遺骨を取り出して海水などで洗い清めること。東南アジアで見られるほか、沖縄でも1970年代まで行われていた。奄美や沖縄における洗骨は、もっぱら女性の仕事であり、「最後の親孝行」とされている。

その風景は過酷である。取り出した骨を海岸に運び、骨にくっついた皮を刃物で削ぎ、腐臭を我慢しながら塩水で洗い清めるという。沖縄では泡盛で洗い清めることが多い。伝統的な葬送儀礼とはいえ、肉体的にも、精神的にも負担が強いられる仕事である。

沖縄では洗骨だけでなく、風葬の風習もかつてはあった。風葬とは海岸沿いの洞窟などに遺体を放置して自然腐敗させる葬送の仕方である。