東京の下町に、突出した商品開発力で次々と新しい市場を開拓する企業、フットマークがある。同社が開発した学校用水泳帽は1969年から全国で販売され、親子3代で使っていたという読者の方も多いはずだ。現在も国内トップシェアを誇る。

もともとは乳児用おむつカバーの製造販売をしていた同社は、水泳用品、介護用品と次々に新商品を市場に送り出す。いまではあたり前に使われる「介護」という言葉も、実は同社の磯部成文会長が発案し、84年に登録商標を取得したものだ。

「なんにもないから知恵が出る」という開発者精神で成長を続ける同社には、どのような秘密があるのか。障害の有無、年齢の高低にかかわらずに使える「共用品」研究所の所長で、日本福祉大学の後藤芳一客員教授が解説する。

フットマーク社長 三瓶 芳氏

「1人で何役も」の精神で人材育成

▼商品開発

長期にわたり増収増益を続ける企業には、連動した複数の要因が存在します。フットマークの場合は、不便さを便利に変えるという理念の浸透、ニーズを1人で製品化できる人材、そして公的補助金を有効活用した経営手法がそれにあたります。

同社は主流だった赤ちゃん用おむつカバーの技術を、大人用おむつカバーに発展させ、さらに同じ技術を応用して水泳帽を開発。それまでにはなかった「プールで帽子を被る」を社会ルールとして定着させ、いまでは全国津々浦々の子どもたちに使われています。

2013年からフットマークの4代目社長を務める三瓶芳氏が水泳帽をつくっている同社の求人広告を見て、面接試験を受けたのはいまから38年前。当時社員は10名程度。社屋も小さく、面接に訪れながらも不安を覚えたといいます。その不安を吹き飛ばしたのは面接での磯部成文社長(当時)の一言でした。「君は、うちの会社が小さくて心配だろうが、うちは10年はもつ」。保証できるのは10年だけかと驚く一方、確実なことを正直に話す社長の誠実さで入社を決意したと語ります。

入社式の後、磯部社長からの最初の一声は「みなさんは一人一人、寿司職人になってください」というものだった。「寿司職人の仕事は、お客さまに美味しい寿司を喜んで召し上がっていただき、また来ていただくこと。そのためには自分の目で見極めたネタを市場で買い、仕込みをし、お客さまの注文に応えて目の前で握る。召し上がるお客さまの反応を見て、改善点を把握し、次の日に活かす。そして、最後にはお客さまからお金をいただく」と。磯部社長はそれを「弊社は一人一人が、すべての工程を把握し、実施している」と説明したのです。その方針は、現在でも社内の15部門でほとんどが5名前後という体制をとる形で、一部で分業制をとりながらも「一人一人が寿司職人」は継承されています。