令和元年秋に始まる政府レベルの皇位継承論議。伝統の「男系男子」を守るべきか、女性・女系天皇容認へ舵を切るべきか、いまから激論が予想される。橋下徹氏の考えは? プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(5月14日配信)から抜粋記事をお届けします――。

(略)

僕は「戦前の日本」には住みたくない。でも……

※写真はイメージです。(写真=iStock.com/nanami_o)

メールマガジンの前号(Vol.150【令和時代の天皇制(1)】なぜ国民の多くが支持するか? 存続の危機に何をすべきか?)では、国民の天皇に対する敬慕の念が醸成される根拠について、5つに整理した。そのうちの根拠(2)「教育と社会が敬慕の念を醸成した」について見ていこう。

(略)

戦前、つまり大日本帝国時代の日本においては、天皇は神であり、君主であり、国民全員は臣下であった。天皇は絶対的に崇められる存在だったのだ。ゆえにそのような国の在り方(国体)を守るために、徹底した教育が行われ、社会制度も構築された。日本の世の中全体が天皇を崇める世界だったのだ。

僕は戦前の世界には住みたくないが、このこと自体を批判しても仕方がない。それは人類の歴史として、どの国、どの地域でも歩む道程だからだ。弱肉強食の時代から、国民一人一人の個人の尊厳を守る時代へ。この歩みのスピードは、それぞれの国や地域によって異なるところがあるが、強者が権勢を振るうという過程は、人類の歴史上当然存在するところである。

(略)

このような時代の人たちが「男系男子の皇統を守るのは当然だ! それが国家と臣民(国民)の使命だ!」と主張するのは完全に理解できる。その皇統を守るために、先の大戦において、愛する家族が、愛する友が命を落としたのである。皇統とはそれだけの究極の価値を有するものなのである。この人たちに、「皇統を守らずして、命を落とした者たちが報われるか!」と一喝されれば、それには何も反対できない。

僕が男系男子の皇統を簡単に放棄できない根本理由はここにある。自分自身が男系男子の皇統自体に熱狂的なある種の感情を抱いているわけではない。そうではなく、男系男子の皇統を守るために命を落とした多くの先人の想いを、簡単に捨て去る勇気がないのだ。