有名大学に入学したとたん、何をすればいいのか分からなくなる学生がいる。その原因は「学ぶ喜び」を奪う受験勉強の行き過ぎにあるのではないか。ジャーナリストの池上彰氏と作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏が対談した――。

※本稿は、池上彰・佐藤優『教育激変 2020年、大学入試と学習指導要領大改革のゆくえ』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

2019年1月19日、大学入試センター試験に臨む受験生ら=東京都文京区の東京大学(写真=時事通信フォト)

「地方の公立校の人間が非常に少ない」

【池上】私は、今、東京工業大学で教えているのですが、いろんな意味で深刻だと思うのは、入ってくるのが圧倒的に首都圏の中高一貫私立校出身者で、地方の公立校の人間が非常に少ないことなんですよ。状況は、東京大学でも一橋大学のような大学でも同じでしょう。

【佐藤】学生たちが均質化している。

【池上】そうです。彼や彼女たちは、基本的に恵まれた環境に育ち、子どもの頃から塾通いをし、偏差値の高い私立学校で学び、とずっと同種の人間たちばかりのコミュニティーで育ってきました。頭はいいし性格も悪くないのだけれど、視野が狭い。難しい方程式をスラスラ解くことはできるのに、今世の中がどうなっているのかというようなことになると、全然知識がないのです。

かつての東大には、地方の公立高校出身者が多数いて、野武士のような若者たちが梁山泊を形成して、天下国家についても侃々諤々(かんかんがくがく)やったわけでしょう。今は、そんな雰囲気はまったくありません。当然、その環境は霞が関まで続いていて、そういう人間たちがごそっとそこに集まるわけですね。これは恐ろしいことです。

【佐藤】それに比べれば、私が同志社大学の神学部で教えている学生たちは、同質的ではありません。

目的を持って大学に入る学生は伸びる

【池上】同志社の神学部に行こうというのですからね。それは個性的なんじゃないでしょうか。

【佐藤】確かに個性的です。偏差値70超の高校出身者が時々いるんですよ。受験競争を避けて神学部に来て、奇をてらってイスラムを専攻する。イスラムを専攻するのはいいのだけれど、動機が不鮮明だから、勉強に打ち込むことができず結局貴重な時間をロスしてしまう。一番教えがいのあるのは、偏差値が65くらいで、ちゃんと目的を持って入ってくる人で、そういう学生はとても伸びますよね。やはり、目的を持って大学に入ってくるというのは、とても大事なのです。

【池上】ただ、残念ながら、現実にはそんな学生は少数派でしょう。

【佐藤】全体から見れば少数派です。多くの学生が大学で学ぶ目的を持てないでいる最大の要因は、やはり偏差値的に「いい大学」に入ることのみを目的にした、行き過ぎた受験勉強にあると言わざるをえません。有名大学への合格者数を競うような私学や受験産業のゴールは、とにかく東大に合格させる、早慶(早稲田大学、慶應義塾大学)に合格させることで、大学に入ってからの接続など何も考慮されてはいない。だから、ゴールを達成してみたら、そこで何をしたらいいのかが分からなくなってしまうのです。なんとなく東大法学部に入った若者たちは、今度は財務省に入ろう、外務省に行こう、要するに「偉くなろう」というのを目標にするようになる。