土方歳三(ひじかた・としぞう)
1835~69年、武蔵国多摩郡(現・東京都日野市)生まれ。新選組副長、蝦夷共和国陸軍奉行並箱館市中取締裁判局頭取。戊辰戦争では、幕府側の指揮官として卓越した軍才を発揮。明治二(69)年新政府軍による箱館総攻撃により戦死。
<strong>TKC代表取締役会長 飯塚真玄</strong>●1943年、栃木県生まれ。68年、早稲田大学商学部卒業後、父・飯塚毅氏の創業したTKCに入社。71年取締役、77年専務を経て、83年代表取締役社長、2008年12月より現職。飯塚毅氏がいわれなき嫌疑をかけられ、国家権力と戦った「飯塚事件」は『不撓不屈』のタイトルで小説・映画化された。
TKC代表取締役会長 飯塚真玄
1943年、栃木県生まれ。68年、早稲田大学商学部卒業後、父・飯塚毅氏の創業したTKCに入社。71年取締役、77年専務を経て、83年代表取締役社長、2008年12月より現職。飯塚毅氏がいわれなき嫌疑をかけられ、国家権力と戦った「飯塚事件」は『不撓不屈』のタイトルで小説・映画化された。

もう40年ほど前になるが、NET(現テレビ朝日)で、毎週水曜日夜9時から連続ドラマ「燃えよ剣」が放映されていた。主人公の新選組副長・土方歳三を演じていたのは栗塚旭という苦み走った役者だ。毎回、若き隊士たちを率いて活躍する彼の姿にどれほど励まされたかわからない。

当時は父(飯塚毅・故人)がTKCを栃木県宇都宮の地で創業して5年目で、経営的には最も苦しい時代だった。コンピュータ導入などにともなう初期投資がかさんで資金繰りが逼迫するとともに、会計システム開発のため、東京からスカウトした社員の突然の退社にも悩んでいた。私は入社2年目の27歳。青年・土方と自分自身を重ね合わせるような思いで、自らを鼓舞していたのである。

以来、土方歳三という男の生き様に憧れ、司馬遼太郎の原作を何度も読み返した。折にふれて、本を紐解いた回数は40~50回にもなるはずだ。

34年という短すぎる生涯を振り返り不思議に思うのは、その見事な成長ぶりである。武州石田村(現・東京都日野市)の裕福な農家に生まれた土方だが、子供の頃は名うての暴れん坊だったという。

剣術こそ一生懸命やるが、学問に関しては名の通った塾に通ったわけでもない。しかし、その剣をきっかけにして歳三は“激動の時代”の荒々しい波の中へと押し出されていく。彼が身を置いた天然理心流の町道場には、かの近藤勇や沖田総司もいた。文久3(1863)年、彼らが将軍・徳川家茂の警護として京に上ってから、その運命は急展開を遂げてゆく。