『言志四録』が座右の書だった

「日本の維新革命は西郷の革命であった」

「維新の英傑」西郷隆盛の功績を、内村鑑三は著書『代表的日本人』でこう評し、その理由を次のように述べている。

《たしかに西郷の同志には、多くの点で西郷にまさる人物がいました。経済改革に関していうと、西郷はおそらく無能であったでしょう。内政については、木戸や大久保のほうが精通しており、革命後の国家の平和的な安定をはかる仕事では、三条や岩倉のほうが有能でした。(略)

それにもかかわらず、西郷なくして革命が可能であったかとなると疑問であります。必要だったのは、すべてを始動させる原動力であり、運動を作り出し、「天」の全能の法にもとづき運動の方向を定める精神でありました》

内村鑑三が指摘する、維新革命の原動力となった「西郷隆盛の精神」。それは簡単に説明できるものではないが、その支柱の一つに『言志四録(げんししろく)』があったことは間違いない。

今日「人生訓の名著」「指リーダー導者のためのバイブル」と言われる『言志四録』は、江戸時代末期の儒学者、佐藤一斎(さとういっさい)が著した随想録である。42歳で筆を執った『言志録』を皮切りに、『言志後録(こうろく)』『言志晩録(ばんろく)』を著し、最終作となる『言志耋録(てつろく)』を書き上げたのは82歳のときだった。耋録の耋とは字のごとく老いに至るという意味である。後にこの4書を『言志四録』と総称するようになった。内容は学問修養の心得、倫理道徳の規範から、指導者論、そして処世の教訓、身体の養生法まで多岐にわたっている。

あわせて1133条。西郷はそこから101条を撰び、修養の資(もと)としていた。西郷の死後、叔父宅に保存されていたのを、儒学者だった秋月種樹(たねたつ)が注釈を加えて『南洲手抄(なんしゅうしゅしょう)言志録』として刊行した。これにより、西郷が『言志四録』を座右の戒めとしていたことが、広く知られたのである。