元号はどうやって決まるのか。1979年の元号法成立に伴って作成された留意事項には「漢字2字であること」とある。そうした条件のうえで、専門家が元号の案を出す。「明治」は複数の候補から天皇がくじを引いた抽選によって決められた。なぜくじ引きだったのだろうか――。

※本稿は、プレジデント書籍編集部著、宮瀧交二監修『元号と日本人』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

明治以前の元号はほぼ菅原道真の子孫による案

「平成」から改元を迎えるにあたり、多くの人が関心を寄せているのが「改元はどう行われるのか」という点ではないだろうか。

新しい元号を決める方法は、明治より前と明治以降で大きく異なる。明治より前は、「勘申(かんじん)」と「難陳(なんちん)」によって改元は進められた。

勘申とは、朝廷から依頼を受けた式部大輔(しきぶたいふ)や、文章博士(もんじょうはかせ)が元号案を考えることだ。彼らは中国古典や歴史、儒学に詳しい朝廷の役職者で、古典や過去の文献、先例などを調べ、ふさわしい由来がある元号の候補を考える役目を負う。そして、出典を添えた勘文(かんもん)という文書で報告する。

次に難陳が行われる。これは、公卿が列席する朝廷内で行われる会議で、それぞれの案について議論を行うことだ。使われる文字の掛け合わせや縁起、由来がどうかなど、細かな評議の末、優れていると思われる元号2案を選び、天皇に上奏する。天皇が1案を決め、新元号が決定するという流れだ。採用された案を考えた者が勘申者となるが、その多くは菅原道真の子孫だという。

明治は「くじ引き」、元号の成立過程

新元号の成立過程〔図表=所 功ほか『元号 年号から読み解く日本史』(文春新書)掲載の図表を一部改変〕

明治以降は「一世一元の制」が定められ、「明治」は天皇がくじを引いた抽選によって決められたようであり、「大正」は枢密顧問、「昭和」は枢密院でそれぞれ審議されて元号が決定した。

昭和54年(1979年)には元号法が成立した。「平成」はこの元号法に基づいて改元の手続きが進められた最初の元号だ。選定の手順については、「新元号の成立過程」の図に沿って説明したい。

まず内閣総理大臣名で、考案委嘱が行われる。これは何名かの人に「候補名」を考えてもらうよう依頼することだ。主に大学教授など学識経験者だとされているが、誰に依頼するのかは公表されないため考案者は不明である。

次に、考案者から官房長官に、候補となる元号がいくつか提出される。たとえば、3人が3つずつ出せば9つの「候補名」が出てくることになる。ここで一度、総理府内政審議官が検討・整理をし、法制局長官協議によって精査・選定される。

そして今度は、考案者とはまた別の有識者8人に対して「原案」についての意見聴取を行う。この有識者たちが、前例がないか、縁起がどうかなど、違った観点から精査を重ね、1位、2位と「原案」に優先順位を付けるとみられている。そして、衆参議長らからも意見を聞いた後、意見を開陳する。

総理は全閣僚会議にそれを諮って原案を協議し、臨時閣議で政令決定を命ずる。そこで最終的な元号が決まると天皇へ結果を奏上、ようやく正式に「新元号」は公布され施行を迎えるのだ。