千葉県野田市の小学4年生・栗原心愛さんが死亡した事件では、夫の暴力を黙認または同調した疑いで母親も逮捕された。だが、母親自身も夫から家庭内暴力(DV)を受けていたと報じられている。DVの被害者支援に携わる常磐大学の宇治和子准教授は「母親が虐待加害者のように振る舞ってしまったとしても、それは自分と子どものダメージを減らす“生存戦略”ではなかったのか」と指摘する――。
2019年2月2日、千葉県野田市が公表した、死亡した小学4年栗原心愛さんが父からの暴力を訴えた学校のアンケート(写真=時事通信フォト)

逮捕された母親は「DV被害者」でもある

千葉県で痛ましい事件が起こった。父親が10歳の娘を虐待死させて逮捕、その母親も父親の暴行を黙認したか同調した疑いで逮捕された。報道によれば、母親は「仕方なかった」と供述しているという。

逮捕前、彼女は友人にLINEを送り「私が助けてあげられなかったから悪い」と語り、自ら虐待加害者であることを受け入れているようだった。だが、母親自身も父親(夫)から暴力を受けていた。私は長くDV被害者支援と研究をやって来た人間として、皆さんに問いたい。この一連の事件と顛末に、いったい何人の人が違和感をもってくれるのだろうか……。

DVと児童虐待は問題が異なる。両方とも家庭内で繰り返し起こるものだが、親や養育者が子どもに対してさまざまな暴力を振るうのが虐待で、夫婦を代表とする親密な関係の中で暴力が起こるのがDVである。

この事件では、1つの家庭内で父親が加害者となり、両方が起こっていた。実際に子どもが亡くなっているので、私たちはつい子どもの立場から虐待についてだけを語りがちだが、この事件にはもう一つ、DV被害者という母親の立場がある。以下では、支援者の視点から、DV被害者の心理とこの事件についての私なりの見解を3点に分けて述べる。

DVと虐待は同時に起きることが多い

1つ目は、DV被害者はなぜ逃げないのかということだ。この事件で母親と子どもは、どちらも父親からの暴力に悩まされていた。これは支援現場ではよく見られることで、DVと虐待は加害者を同じくして同時に起こることが多い。このような場合、母親がそれらを理由に家から逃げ出すことを決意しさえすれば、子どもは母にくっついて家を出ることができる。

つまりDVを解決したら、結果的に虐待も解決されることになる。今回の事件でも、母親が自身のDV問題を解決しようとすれば、もしかすると子どもは死ななくて済んだかもしれないという側面がある。けれど彼女は最後まで、“逃げる”ことができなかった。それはなぜだろうか。

“逃げる”ことについて掘り下げる前に、人はどうやってDV被害者になってしまうのか、について説明をしたい。男であっても女であってもこの部分は変わらないので、あなたがもしそうだったら……と考えてみてほしい。

親密な関係性の人からはじめて暴力を振るわれたとしたら、被害を受けた人は、大きく分けて2種類の対応をするのではないだろうか。ある人は、『私がなぜこんなことをされなければならないのだ? 意味が分からない』とさっさと逃げ出すかもしれない。このような人は、確かに暴力を受けたが(繰り返し振るわれるという意味で)DV被害者にはならない。加害者と関係が切れてしまうからだ。

しかし同じような状況下で、ある人は『私の取った行動の何が相手の気に障ったのか?』と反省してしまうかもしれない。そしてもし思い当たる原因があったなら、『だからこんなひどいことになったのだ、今度から気を付けよう』と考えはしないだろうか。ここにDV被害にはまっていく落とし穴がある。