■入野祐史さん profile
年齢:54歳
年収480万円
貯蓄なし。
住居私設蝶博物館と併設した自宅は土地と建物で3000万円。
月の生活費20万円
10年後のビジョン65歳になったら年金暮らしで蝶ざんまいの生活を。

入野さんは1953年、栃木県宇都宮市生まれ。東京電機大学卒。75年、日本電信電話公社(技術系)入社。同年、同郷の妻と結婚。2003年3月、日本電信電話退社。同年4月、石垣市へ移住。

沖縄県八重山諸島最大の島、石垣島はいま移住者ブームだ。年間5000人ほども移住するが、そのうち4000人は本土に戻るという。安易な移住に地元から批判の声も上がる。

入野祐史さん、君江さん夫妻は2003年4月に石垣島に移住した。島随一の景観を誇る川平(かびら)湾を見下ろす土地に200坪の土地を購入し、蝶のプライベート博物館「蝶館・カビラ」を併設する自宅を建てた。ブームに乗った移住とは違い、ここを終の棲家と決めている。入野さん夫妻が石垣島を選んだ理由は明確だ。“蝶”である。

「ここは(蝶マニアにとって)日本一じゃないですか。1年中、身近なところに、たくさんの蝶がいるんですよ」

八重山諸島は固有種の蝶が多く、蝶好きの聖地だ。小学生の頃から蝶の採集にとりつかれた入野さんにとって石垣島は楽園である。現在まで集めた標本は200種3000頭。日本には250種が存在するが、未採集の50種の多くは天然記念物で捕ることができない。この成果が蝶館・カビラに展示されている。

入野さんは03年までNTT本社で課長職を務めていた。50歳のとき、早期退職制度を使ってその職をいきなり捨て去った。人事部長が驚いて引き留めたが、その理由を聞いて納得し、社内でもうらやましがられたという。

「40歳頃から50歳になったら退職して移住しようと思っていました。ちょっと早いかもしれませんが、60歳になると次の人生がちょっと短くなりますからね。蝶とともに人生を歩みたいと思っていたので収入がなくなることも気になりませんでした」

入野さんは退職する2~3年前から資金計画を立て、移住する場所探しを始めた。当初は東南アジアにしようと、現地に土地を見に行ったが、テロなどの不安もあってためらっていた。

そんなとき、02年にたまたま訪れた石垣島に夫婦そろって惚れ込み、即座に移住を決め、ネットで土地を探して、2回目の訪問で契約した。

当初は東南アジアに住むことを考えていたので、資金は1000万円で十分だと考えていたが、石垣島の土地代は予想より高かった。坪1万円程度かと思っていたら5万円もかかり、200坪で資金の1000万円が消えた。さらに建設費も坪40万円程度と予想していたが、平均で70万円もかかり、最終的に2000万円に膨らんだ。

蝶の標本を手に。中学校時代に採集した蝶もいまだに標本としてとってあり博物館に展示されている。

蝶の標本を手に。中学校時代に採集した蝶もいまだに標本としてとってあり博物館に展示されている。

資金が足りなくなり、地元の商工会の協力を得て蝶館・カビラの事業計画書を作り、個人事業ながら金融機関から融資を受けた。

野菜や雑貨類などの物価も運搬費がかかる分、思った以上に高かった。現在の生活費は月に20万円程度だ。計画通りにはいかなかったが、夫婦ともにここの生活に満足している。

君江さんも「これまで便利なところに住んでいたので、不便は逆に楽しい。自然があるのが一番ですね」という。

収入は当初、蝶館の入館料300円を当てにしていたが、現実は計画の3分の1に留まっている。しかし、石垣島を訪れる蝶マニアのガイド業務(1日1万円)が増え、いまは週平均3回ほど、シーズンになると毎日予定が埋まるほどだ。

このほか、生きた蝶や標本をコレクター、植物園、動物園などに販売する仕事も増えており、平均月収40万円ほどは確保している。

「そりゃ生活に不安はありますよ。お客さんが来てくれるかどうかわかりませんから。今後、ある程度は事業の拡充をしないといけないかなと思いますが、事業を続ける目標は65歳まで。その後は年金で暮らすつもりです。私はビジネスをしたくてここに来たわけではない。生活できるだけの収入があればいいんです」

のんびりしようと思って移住した石垣島だが、いまの生活は毎日が忙しいという。1週間のうちガイドと販売のための蝶採集、事務作業で6日がつぶれ、残り1日が蝶と遊ぶ自分のための時間だ。

「1週間がアッという間に過ぎますが、好きですからね。楽しんでいます」

君江さんは、蝶館の隣に建てた「飼育館」で蝶の飼育を担当している。採集した分、環境に影響を与えない程度に育てた蝶を自然に返している。

「蝶だけでなく虫が好きなんです。幼虫はかわいいですよ」と君江さん。

蝶を縁に夫婦の絆を強め、石垣島に移住した入野夫妻にかつての生活への未練など少しもない。定年後ではなく、途中でサラリーマン生活を打ち切る覚悟が移住成功の秘訣だろう。

(撮影=秋山忠右)