東京都足立区鹿浜、最寄り駅から徒歩30分。へんぴな場所にあるにも関わらず、焼き肉店「スタミナ苑」は、開店3時間前から行列ができる。この店には、「総理大臣であっても予約を受け付けない」という絶対のルールがあるからだ。なぜそんなルールができたのか。ホルモン一筋45年の豊島雅信さんが「繁盛哲学」を語り下ろす――。(第1回)

※本稿は、豊島雅信『行列日本一 スタミナ苑の繁盛哲学』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。

スタミナ苑の開店前は常に行列ができる。

半世紀続く「スタミナ苑」

実家は肉屋をやっていたんだけど、おふくろの弟、つまり僕のおじさんから「これからは焼き肉屋がいいらしいぞ」って勧められたのがオープンのきっかけだったみたいだ。

おふくろは8人兄弟で、そのおじさんはヤクザみたいな風体だったことを覚えているけど、身内には優しかったね。子供の頃はよく海に連れて行ってくれたり、遊んでくれたな。あとから聞いたら、「海に連れて行くからいくらかよこせ」って金を徴収されていたらしい(笑)。昔の人って面白いよね。

スタミナ苑がオープンしたのは僕が10歳くらいの頃。手伝いをするのは嫌いじゃなかった。商売が好きだったんだよね。手伝いをすると客が褒めてくれるのがうれしかったのかもしれない。根が単純なんだよ。

昔から焼き肉は精がつく料理の代名詞だった。そんなに安い食べ物じゃなかったと思うよ。頻繁には食べれなかったもん。

特に関東は豚を食べることが多かったし、牛は高級品だった。関西は昔から牛の文化だよね。トンカツだって、関西に行ったら牛カツだしさ。

オープン当時からそこそこの客

うちの屋号はずっと「スタミナ苑」。わかりやすくていい名前だよね。店名はさっきとは別のおじさんが命名したんだ。その人は不動産屋をやっていて商売上手。昔は随分と儲けたみたいだよ。近所にはいくつかおじさんの持ち物だったマンションもあった。

「スタミナ苑」はオープン当時からそこそこ客が入ったんじゃないかな。でも、我が家は裕福ではなかったよ。真面目に商売をやってればさ、なんとか食っていけるって時代だったから、贅沢さえしなければ食いっぱぐれることはなかった。

うちは肉屋だから恩恵にあずかることも多かった。煮込みが食べたい、って言えばおやじがありものを使って作ってくれたもんだね。

いやぁ、あれは本当にうまかった。

今の煮込みと比べたら雲泥の差だよ。味わいなんて今の煮込みは半分以下だね。なぜかって。それはね、狂牛病の影響なんだ。

2001年の狂牛病問題があって以降、日本でも牛の脳みそと脊髄は廃棄されることになった。牛の脊髄って中が豆腐みたいになっているんだよ。それを煮込みに入れるとトロトロになって、とにかくうまいんだ。