なかなか外出できない状況にある人の「心」を救う分身ロボットが話題になっている。開発したのは自身も3年半の不登校を経験した青年だ。「人工知能では人の心は癒やせない」と考え、ロボットの世界で実現させた画期的なプロダクトの狙いとは──。
オリィ研究所代表の吉藤健太朗氏とジャーナリストの田原総一朗氏

“生駒のエジソン”に高校で弟子入り

【田原】吉藤さんは小学5年生から中学の途中まで不登校だったそうですね。どうして学校に行かなくなったんですか?

【吉藤】私は「健太朗」といいますが、この名前が嫌いでして。というのも、人と比べてよく体調を崩していたんです。小5のときもお腹にガスがたまって、2週間検査入院をしました。

【田原】不登校は入院がきっかけ?

【吉藤】じつはそれまではそこそこクラスの人気者でした。変わり者なので集団からは浮いていましたが、ものをつくるのが好きで、工作でおもちゃをつくるとみんなに遊んでもらえた。学校のお楽しみ会でも準備を任されるほどでした。しかし、入院で準備を投げ出す形になって、戻りづらくなってしまった。一応、学校に行こうとしたけれど、かつての友人たちも冷たいと感じてしまって。それでストレスを感じて休むことが多くなり、結局3年半、ほぼ不登校状態を続けました。

【田原】吉藤さんが学校に行かないことに対して、お母さんやお父さんはどうしたのですか?

【吉藤】教師の家系で、初めのころはなんとかして学校に行かせようとしていました。お腹が痛くて「行きたくない」と泣きわめいている私を、担任の先生と一緒に無理やりパジャマ姿のまま担いで車に乗せ、学校に連れてったこともありました。

【田原】中3でまた学校に行くようになる。何か変化があったの?

【吉藤】私は小さいころから折り紙が好きでした。休み時間や給食の時間にみんなと同じことをするのが苦手だったので、1人で折り紙ばかりやっていたんです。ただ、「折り紙は紙を机の上に置いて、端と端を合わせて図の通りに丁寧に折るものだ」と言われると反抗したくなるタイプ。だから小3のころから創作折り紙をつくっていました。最初、くしゃくしゃと丸めて「山」といったときには誰にも理解されませんでしたけど(笑)。でも、不登校のときにひたすら折り紙を折っていたら、こういうものもできるようになった。いま折ったのは「吉藤ローズ」といって、私のオリジナルです。