2020年の東京五輪、男子マラソンはメダルを獲れるかもしれない。10月7日、男子マラソン・大迫傑選手がシカゴマラソンで日本新記録を更新したのだ。大迫選手は日本新の更新で1億円の報奨金も手にした。ほかの選手と何が違うのか。スポーツライターの酒井政人氏は「日本の体育会や部活にありがちな上下関係ではなく、大迫はコーチとフラットな関係を築けている。それが新記録につながった」と分析する――。

男子マラソン「大迫傑」日本新記録の裏に名コーチあり

10月7日、男子マラソンの日本新記録が生まれた。大迫傑(27歳=ナイキ・オレゴン・プロジェクト)がシカゴマラソンで出したものだ。大迫が拠点にするのはアメリカで、サポートするコーチもアメリカ人。筆者は8月下旬、そのコーチに会い、そのコーチングのポリシーを取材していた。

10月7日、シカゴマラソンで2時間5分50秒の日本新記録を出し、3位に入った大迫。(写真=AFP/アフロ)

その指導内容は、昨今、日本でたびたび報じられているパワーハラスメントのような指導とは対極だった。

2018年は日本のスポーツ界における「パワハラ問題」が次々とあきらかになった。

その発端となったのが、1月、女子レスリングで五輪4連覇を果たした伊調馨選手が、日本レスリング協会の栄和人強化本部長からパワハラを繰り返し受けていた、という報道だった。5月には日本大学アメフト部の危険タックル問題が報じられ、8月にはリオデジャネイロ五輪体操女子代表の宮川紗江選手が塚原千恵子女子強化本部長のパワハラを告発した。

陸上界では今年9月、日本体育大学駅伝ブロックの渡辺正昭元監督によるパワハラが明らかになった。渡辺氏は愛知・豊川工業高校の教諭時代に、部員への体罰を繰り返したとして懲戒処分を受けていることもあり、“厳しい指導”は陸上界で有名だった。そのため、筆者は驚かなかったが、今回の報道で本当に残念な気持ちになった。

なぜなら渡辺氏のキャリアは抜群なものがあったからだ。私立高校やケニア人留学生を擁する学校が上位を占める全国高校駅伝で、愛知県の公立校である豊川工業高校は上位入賞の常連だった。高校を卒業後、箱根駅伝で活躍したランナーも多数いる。

体罰が明るみになった後、同校PTA関係者から指導継続を求める約3万8000人の署名が集められたほど指導者として“魅力”があったのだ。体罰は絶対にいけないことだが、高校スポーツ界で渡辺氏ほど情熱を注いだ指導者がどれだけいるだろうか。

愛情ベースの暴言なら許されると思っている日本の指導者

渡辺氏は日本体育大学の駅伝監督に就任した後も、予選会から出発した1年目に箱根駅伝で7位。昨年は7位、今年は4位と結果を残してきた。しかし、『フライデー』(9月7日発売号)によると、ペースを乱した選手に対して、乗り込んだ併走車から「ひき殺すぞ」と凄み、故障中の部員には「アイツ障害者じゃないか」といった言葉を浴びせたという。

その後、日本体育大学が公表した調査報告書によれば、実際に「脚を蹴る」「胸ぐらをつかむ」といった暴力行為も複数確認された。選手の人格を否定するような「言葉の暴力」も報告された。渡辺氏はこれらの言動をおおむね事実と認めたものの、「パワハラに該当する認識がなかった」という。

この“認識”が非常に危うい。無意識にパワハラ行為におよんでいるのである。

今年、相次いで報じられたパワハラ事件は氷山の一角にすぎない。スポーツ界では、今なお多くのチームでパワハラに近い指導が行われている。かつてに比べて体罰はみられなくなったが、言葉の暴力にはまだ甘さがみられる。荒っぽい言葉でも、選手育成の“愛情”から出た叱咤激励は許される。そんな感覚をもつ指導者が少なくない。

たしかに、以前なら監督と選手の距離感や信頼関係などで許されることもあったが、昨今は選手が「NO!」を突きつけ、告発に至るケースが増えている。現在は、その転換点にある。ところが監督・コーチたちは恐ろしく鈍感だ。大物であるほど鈍い。