今上陛下の「退位宣言」によって、来年4月30日に終わることになった「平成」という時代。バブル崩壊や湾岸戦争とともに幕開けし、ネットにおける左右対立の激化の中で終わろうとしているこの30年間は、振り返ればどんな時代だったのか。作家で近現代史研究者の辻田真佐憲氏は、「一言で言えば、アンチばかりの時代」と語る。政治学者の藤井達夫氏とともに読み解く、「平成」であらわになった日本社会の問題とは――。

※本稿は、藤井達夫『〈平成〉の正体 なぜこの社会は機能不全に陥ったのか』(イースト新書)の一部を再編集したものです。

1989年1月、首相官邸での記者会見で新元号「平成」を発表する小渕恵三官房長官(当時)。(写真=時事通信フォト)

平成を前半と後半に分けてみる

【藤井】辻田さんは著書に『日本の軍歌』『大本営発表』(幻冬舎新書)や『空気の検閲』(光文社新書)などがあり、戦前の文化と政治との関係について意欲的に研究されていらっしゃいますよね。辻田さんは「平成」の時代をどう捉えていますか。

【辻田】一言でいえば、アンチばかりの時代でしょうか。「平成の終わり」といっても単に天皇が老齢で譲位するだけですから、時代の区切りとしてそれほど大きな意味はありません。とはいえ、平成を前半と後半とに分けてみると面白いことがわかります。

まず平成前半では、バブル崩壊と湾岸戦争がほぼ同時期です。その後、Google(1998年)と2ちゃんねる(1999年)が誕生しました。2001年にはアメリカ同時多発テロが起きます。2002年にはネット右翼が生まれるきっかけとされる日韓ワールドカップが開催され、拉致問題に関して日朝首脳会談があった。この年にはいわゆる「ゆとり教育」も始まりますね。

2003年には六本木ヒルズがオープンし、イラク戦争が起こる。国内外でさまざまな変化があり、昭和の価値観を引きずりつつも、そのままでは通用しないことが明らかになったのが平成の前半です。いわば「昭和の継続と限界」でした。

【藤井】冷戦の終結により国際状況も外交関係もガラッと変わり、国内の政治では改革の機運が高まった時期です。ワールドカップに熱狂する若者の姿から「ぷちナショナリズム」という言葉も生まれました。今のネット右翼の萌芽がこのころ見られたともいわれます。

【辻田】平成的な要素が顕在化してくるのは後半で、マスコミ批判やネット右翼が目立ちはじめます。2004年にはチャンネル桜、2006年には在日特権を許さない市民の会(在特会)が設立されます。メディアとの関係でいえば「マスゴミ」という言葉が出てきます。「マスゴミ」という言葉自体は昭和から使われていたんですが……。