教養ある欧州人の家庭で、何を話すのか

2017年、ファッション通販サイト「ZOZO TOWN」などを運営するスタートトゥデイ代表取締役社長の前澤友作氏が米サザビーズのオークションでジャン=ミシェル・バスキア(NYブルックリン出身の黒人アーティスト。ドラッグの過剰摂取により27歳で死去)の絵画を約123億円で落札したことが話題になった。前澤氏は以前にもバスキアの作品を約62億円で落札していて、コンテンポラリーアートの振興を目的とした現代芸術新興財団の会長も務めている。

スタートトゥデイ社長の前澤友作氏が約123億円で落札したバスキア作品。(AFLO=写真)

企業家がアートに入れ込むのは今に始まった話ではない。バブル期にはアートの世界にもジャパンマネーが流れ込んだ。1990年には大昭和製紙の斉藤了英名誉会長がクリスティーズのオークションでゴッホの「医師ガシェの肖像」を約125億円で、続けざまにサザビーズでルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を約118億円で落札、「死んだら2枚の絵とともに焼いてほしい」との発言が批判を浴びた。サントリー美術館やブリヂストン美術館、山種美術館などの収蔵を見ても、昔の日本の企業家、資産家のコレクターぶりがよくわかる。世界的にもアートをバックボーンに持つ起業家が登場してきたり、エリート研修にアートを取り入れるグローバル企業が増えたり、ビジネスマンの間でアートを学ぶのがちょっとしたブームになっているという。

ビジネスの論理思考とアートで触発される美意識や感受性といったものがどう結びつくかはさておき、アート、あるいは音楽、地理や歴史といった教養がビジネスシーンで役に立つことはしばしばある。「芸は身を助く」ではないが、私の場合、一番助けてくれたのは音楽だ。ヨーロッパ、たとえばイギリス辺りにビジネスに出向いて、先方の家にディナーにお呼ばれしたとしよう。日本ではテレビをつけっぱなしにして食事をしている家庭も珍しくないが、教養あるヨーロッパ人の家ではまずない。食事中は家族向き合って話をするのが当たり前だ。小さく流れているBGMは家人お気に入りのクラシック音楽。そこで「あっ、シベリウス(フィンランドの作曲家)の交響曲第2番の第2楽章ですね。私はこれ好きです。シベリウスはイタリアで第2楽章を作曲したそうですが。極寒のフィンランドの情景が目に浮かんできます」などと言うと、相手の目に尊敬の色がみるみる浮かんでくる。「これがわかったゲストは初めてです」と。そこから先はどんな話題を振っても大丈夫という世界に入る。私は練習用にクラリネットを持ち歩いていたから、相手の奧さんがピアニストだったりすると「週末、パーティーがあるから一緒にやりましょう」と誘われたり。そうなればしめたもので、ずっと「教養があって信頼できる人」と思ってもらえる。

戦後、「トランジスタ(ラジオの)セールスマン」とヨーロッパで嘲られてきた日本人が尊敬を受けるには、クラシック音楽というのはきわめて有効な教養だった。曲目はもちろん、一押しのオーケストラや指揮者、演奏家は誰か、誰それのコンサートに行ってどう感じたか、といったことも共通の話題になりやすい。M&Aなどシビアな交渉の席でも、クラシックの話題をきっかけにアイスメルティング、氷が溶けるように打ち解けることがあった。ディール自体が成り立つかどうかは別として、「この人の言うことは信用できる」と警戒感がぐっと薄れるのだ。