2018年4月2日パナソニックは、家電ベンチャーCerevoの子会社を買収したと発表した。買収先の代表をつとめるのは、11年前まで商品企画を担当していた元社員。一体、パナソニックは彼に何を求めているのか――買収の真相を聞いた。

元社員の会社を買収したパナソニック

【田原】岩佐さんは、どんなお子さんだったんですか。

【岩佐】中学生のころはゲームばかりやっていました。中学受験のとき、「合格したらゲーム機を買ってくれ」と親父と交渉しましてね。運よく合格したので約束を守ってもらおうとしたら、「ファミコンやプレステはダメ。パソコンならいい」という話になって、中古のPC98互換機を買ってもらいました。当時はいまと違って、PCを快適に使うのが難しい時代。好きなゲームをやるにも、自分でPCのメインメモリーの領域を空けるなどの調整をしないと遊べませんでした。おかげで中学生のころからPCには明るかったです。

【田原】ゲーム好きが高じて、いまやられているハードウエアに詳しくなったということ?

【岩佐】ハードもそうですが、中学3年生のころにはパソコン通信をやってました。大人の人と、ゲームの情報なんかを文字でやりとりし始めて、世界がワーッと開けた感じでしたね。

【田原】中学時代は、軍事用航空機にも凝っていたそうですね。

【岩佐】はい、いわゆる軍事マニアでした。最初にハマッたゲームは『大戦略』という軍事ものでしたし。とくに興味があったのは航空機。高校2年生のときインターネットと出合ってからは、アメリカ軍のホームページにアクセスして情報を取りにいくようなマニアになっていました。

【田原】パソコン通信で世界が広がったとおっしゃったけど、インターネットはそれ以上?

【岩佐】ひと言で言うと、ドラえもんのどこでもドアを手にいれた感覚です。あれと同じで、ウインドウを開くだけで、普通の高校生では入手できない世界のさまざまな情報にたどりつける。当時は通信環境が悪くて、1つのページが表示されるのに1分以上かかったりしていましたが、それでも衝撃的でした。

【田原】大学生のときは、フライトシミュレーションゲームの記事を大手の出版社の雑誌に連載していたとか。これはどういう経緯で?

【岩佐】当時、飛行機のシミュレーションゲームは海外からの輸入ゲームしかありませんでした。航空機はもともとマニアの領域で、しかも“洋ゲー”で英語がわからないと紹介する記事も書けません。当時、フライトシミュレーションの洋ゲー情報を載せていたホームページは、日本に10もなかった。その中の1つを私が運営していて、編集部から声をかけてもらったのです。その記事の反応がよかったそうで、5年ほど雑誌で連載をやらせてもらいました。

【田原】へえぇ。それはけっこういいバイトになった?

【岩佐】はい。こんなことを雑誌で言うと怒られるかもしれませんが、当時は出版社が儲かっていて、原稿料もいい時代でした(笑)。あと、バイトで、京都のベンチャー企業でプログラマーもしていました。当時の大学生としては、けっこう稼いでいたほうだったと思います。