アメリカと中国の間で上手に立ち回りながら、北朝鮮の現体制の存続をはかる金正恩・朝鮮労働党書記長。中国の習近平・国家主席に「偉大なる指導者」とリップサービスをしながら、中国の支配下に入ろうとはしない。そのふるまいの陰には、あの「秀吉出兵」時に朝鮮王朝が味わった、当時の宗主国・明による血も涙もない「属国扱い」の記憶がある――。
秀吉の朝鮮出兵の際、明から朝鮮に派遣された応援の軍隊(古い中国の絵巻物の一部。写真=GRANGER.COM/アフロ)

「依存」と「不信」の交錯した感情

金正恩・朝鮮労働党委員長はもともと、中国を憎み、「千年の宿敵」と呼んでいました。しかし、トランプ政権が誕生し、アメリカの圧力が強まるなか、北朝鮮は中国に接近。米朝首脳会談の前に2度、会談のすぐ後にさらにもう一度、金委員長は訪中し、習近平国家主席と会談しています。

3度目の訪中の際、金委員長は習主席との会談で、習主席を「偉大なる指導者」と呼び、持ち上げたようです。米朝会談の会場となったシンガポールに行くための飛行機を中国に借り、会談後早々に習主席に状況報告をするとは、過去69年の中朝交流の歴史でも類のない蜜月ぶりです。

とはいえ、「千年の宿敵」と「偉大なる指導者」という、金委員長の相反する2つの言葉には、北朝鮮が中国に対して抱く、「依存」と「不信」の交錯した感情がよく表れています。国際社会から経済制裁や武力行使の脅しをかけられている現状は、北朝鮮から主観的に見れば「国難」的状況といえます。その国難の中で北朝鮮は、長い半島史のなかで彼らの父祖が抱いた中国への複雑な思いを再体験しているかもしれません。

その歴史的記憶の一つが他ならぬ、北朝鮮でいう「壬申祖国戦争」、つまり日本の豊臣秀吉による文禄・慶長の役での、中国(当時は明)の対応です。

李舜臣を抜擢した男

秀吉の軍勢が朝鮮に侵攻した際、絶妙なバランス感覚で国難を救った朝鮮王朝の宰相がいました。この宰相の名を柳成龍(リュ・ソンニョン)と言います。藤堂高虎たちが率いた日本側の水軍に打撃を与えたことでよく知られている、李舜臣(イ・スンシン)を将軍に抜擢したのは柳成龍です。