いじめの被害者は、ときに「抗議の自殺」を考えることがある。だが、探偵として数多くのいじめを調査してきた阿部泰尚氏は「学校現場では『死んでしまった子』より『生きている子』の人権が優先される。『抗議の自殺』は徹底的に無意味だ。絶対に死んではいけない」という。阿部氏がかかわった男子高校生の事例を紹介しよう――。
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死んでも相手は「思い知らされ」たりしない

いじめ被害者が自殺を考えるケースはとても多い。その動機として、「自分のつらさ・苦しさをいじめる側に思い知らせてやりたい」、あるいは「いじめの事実を広く社会に知らせたい」というものをしばしば目にする。

だが、過去の膨大ないじめ調査の経験から言わせてもらえば、そうした期待がかなうことはまずない。もしそんな動機で自殺を考えている子供がいたら、「まったく無意味だからやめておきなさい」と言い切れる。なぜか。学校や関係各所にとって、死んでしまった児童・生徒は、もはや「保護すべき対象」ではないからだ。

ある男子高校生のケースを見てみよう。A君(仮名)は高校1年生のとき、地方から東京に引っ越してきた。少し言葉のなまりがあり、本人はそのことを気にしていた。転居前の学校では友だちが多く、ユーモアもある明るい子だったが、東京で入学した公立高校では、からかわれるからと口数を少なめにしていた。ところが周りの男子たちは、そのなまりを言わせようと、いろいろとちょっかいをかけてくる。

高校生にもなれば半分大人のようなものだから、A君も表面的にはそれほど苦しいそぶりは見せないし、「バカにすんなよ」といった感じで軽く返していたのだろう。ただ本人にとっては強いストレスになっていて、ツイッターやLINEで「今、学校に行くのがつらい」ともらしていた。

誰に何をされてつらいのかという具体的な記述はなかったが、同級生たちへの聞き取り調査では、やはり言葉のことで相当に絡まれていた様子だった。本人はそんなことに邪魔されずに学校生活を送りたかったが、どうしても気持ちがそちらに引きずられてしまう。