世界で勝つ日本人はどこが違うのか。20歳のときフランスで修行したシェフの松嶋啓介氏は、「23歳以降で海外のチームに移籍した日本人サッカー選手は、まだ1人も成功していない」と語る。これに対し、31歳のときに初めて海外赴任を経験したフェイスブック ジャパンの長谷川晋社長は「外資系企業での勤務経験があり、英語の不安もなかったが、実際の仕事では非常に苦労した」と振り返る。『「食」から考える発想のヒント』(実業之日本社)を出した松嶋氏と長谷川氏の対談をお届けしよう――。(第2回)
フェイスブック ジャパンの長谷川晋社長(左)とフレンチシェフの松嶋啓介氏(右)

フェイスブックが世界の距離を小さくした

【松嶋】文字ができた時からのコミュニケーションツールを考えると、今のVR、ARなどの動画のコミュニケーションツールまですごく歴史が長いし、フェイスブックができたおかげで世界の距離が小さくなったんですよね。

【長谷川】そうなんですよね。

【松嶋】その時の世界に対するマーケティングっていうのを考えてるけど、日本人では企業の体制が日本人しか見てないからなかなかそういう風にならない。1度日本と世界との距離が小さくなった時っていうのが戦争の時で、地球儀を見て、いかに世界から攻められないようにするか、世界をどう占領するかというふうに視野が広がっていった。戦争が良いか悪いかは別にして、そうして戦争で世界を見たあとの起業家は世界に対してビジネスができる。現在の日本の環境で育ってきて、日本地図の中でしか考えてない人達は仕事において世界とコミュニケーションを取れる人は少ない。

【長谷川】そうですね。僕らも14年前にフェイスブックが生まれた時どうだったのか、まさにコミュニケーションとか人の繋がり自体が洞窟の時代からどういうふうになっていったかっていうのが最初に話す内容なんです。マーケティングとかブランディングの世界でもあんまりそういう事を考える人はいないと思うんです。

ひもとくと何から始まったかという過去のレビューから先のトレンドを見るという話と、定義付けの両方が重要だと僕は思っています。マーケティングとかブランディングってもともと何だったかというと、例えば牛にする“焼き印”のようなものだったと思うんです。この牧場で育てたから品質はいいというのを焼き印に込めたものが、恐らくブランディングの最初の形だというようなことを教わりました。やがてだんだん刻印が意味を持つようになり、日本だと“のれん”になったり、そういうものをいかに作っていくかっていうのがマーケティングの起源で。

【松嶋】なるほどね。

【長谷川】今はやりたい事や骨格などの根本は変わってないけど、筋肉の動かし方は変わってきています。啓介さんの言う通りフェイスブックのような22億人(2018年3月現在)が使っているプラットフォームがあって、クレジットカード1枚とパソコン1台あれば22億人の中から『KEISUKE MASTUSHIMA』の料理が食べたそうな人100万人に、誰でも自分の部屋から世界中に対してコミュニケーションすることができる時代になっている状況で、ひもといてマーケティングってそもそもなんなのか、どういう風に進化してきたのか、これから先どう進化するのか、その中でどういう風にやっていくべきなのか……そういう事を考えられると広がりもあるし、すごく大きくてアップサイドなポテンシャルだと僕は思っています。