元外務省主任分析官の佐藤優氏は、バブル崩壊後の1995年、霞が関の本省に勤務していた。そこで目にしたのは、大使クラスの高級外務官僚が、トイレのタオルに人糞をなすりつけるという姿だった。なぜエリートは、そんな行為に走ったのか。佐藤氏と政治学者の片山杜秀氏との「平成史対談」、第4弾をお届けしよう――。(第4回)

※本稿は、佐藤優、片山杜秀『平成史』(小学館)の第2章「オウム真理教がいざなう千年に一度の大世紀末 平成7年→11年」の一部を再編集したものです。

銀行が潰れる時代がやってきた

【佐藤優(作家)】当時、バブルは弾けてはいたものの「貧困」という言葉はまだ出てきていない。ただし、このあたりから国民の年収が下がり始め、03年には森永卓郎が書いた『年収300万円時代を生き抜く経済学』がベストセラーになった。

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【片山杜秀(慶應義塾大学法学部教授)】それがいまや年収300万円だったらまだいいという時代ですからね。

バブル崩壊の傷の深さを感じさせたのが、破綻した住宅金融専門会社に政府が約7000億円の公的資金の注入を決めた96年の住専問題です。

高度成長期からバブル期までは「良い就職」ができれば生涯安泰という思想が信じられていました。市川崑監督の60年前の映画『満員電車』では、主演の川口浩が新卒でビール会社に就職するといきなり生涯年収の計算をしだす。そこから何歳で結婚、何歳で持ち家とみんな計算できる。

ところが97年11月に山一證券、三洋証券、北海道拓殖銀行と立て続けに潰れた。終身雇用の安心感と年功序列の秩序感はあそこで喪失しましたね。

【佐藤】なかでもインパクトが大きかったのは、北海道拓殖銀行の破綻です。銀行が潰れるなんて、戦後の日本では絶対にありえなかった。さらに翌年には長銀も経営破綻してしまう。

【片山】護送船団方式という言葉に象徴されるように、戦後の日本は銀行も企業もみんな足並みを揃えて落伍者が出ないように要領よくやってきた。しかしそんなやり方が通用しなくなった。新自由主義を推し進めた小泉政権への助走期間と言えるでしょう。

小選挙区制で政治も右シフト

【佐藤】96年は日本の政治構造における最大の転換期となった年でもあります。10月からはじまった小選挙区比例代表並立制選挙で、資質がない変な政治家が大量に生み出されるようになってしまった。

【片山】非常に罪深い政策でしたね。しかもいまだに修正不能のままです。

政権交代が起こりやすい二大政党政治を目指した小沢一郎が小選挙区制を導入し、メディアや政治学者が旗を振った。今になって彼らは、資質が乏しい政治家を生んだ政策を批判していますが、もう手遅れです。