職場には多様な人材と働き方が推進される現在。様々な人の心をつかみ、まとめ上げるには何が必要なのか。元伊藤忠商事社長の丹羽宇一郎氏と歴史作家の河合敦氏が、西郷、龍馬ら傑物の生き様から、真のリーダー像に迫る——。
1 なぜ幕末の志士が生まれたのか

国家の礎をつくった、真の立役者とは

【河合】2018年は明治維新から150年という節目を迎えます。260年以上も続いた江戸時代が終わって、明治という新しい時代を迎えた転機でしたが、明治維新があったから、日本は欧米諸国と肩を並べる大国に成り上がれたといわれています。丹羽さんはあの時代をどう見ますか?

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【丹羽】江戸時代から明治時代になった年に「五箇条の御誓文」という政府の基本方針が発表されましたよね。あれは240年ほど前のアメリカの独立宣言とよく似ています。つまり生命、自由、幸福を追求するということを目指していた。日本の民主主義の原点ができたのです。一方、アメリカの独立運動はイギリスの哲学者、アダム・スミスが「動乱」と表現しています。日本の幕末も動乱であって、明治維新は運動ではなく「革命」ではないかと思うんです。

【河合】確かに革命だと思います。

【丹羽】ペリーは日本人が見たこともないような船でやってきた。いったん開港したらイギリスの船やフランスの船も来た。5カ国ぐらいの軍艦に居座られて、幕府も朝廷も何もできない。革命を起こしてでも乗り越えなくてはいけない状態でした。それで西郷隆盛や吉田松陰のような人物が出てきたわけです。

【河合】おっしゃる通りです。あのときに桂小五郎、吉田松陰、高杉晋作たちも江戸へ来ていました。坂本龍馬も剣術修行で江戸におり、黒船が来るというので土佐藩から品川の湾岸警備を命じられる。このとき龍馬は「異人の首を取って参ります」と、父親に宛てて手紙も書いています。戦争になると思ったのです。西郷もペリー再来のとき、ちょうど島津斉彬(しまづなりあきら)(11代薩摩藩主)の供をして江戸へ出てきたころでした。つまり、黒船来航による騒動を肌で体感した衝撃が彼らを「志士」に変え、明治維新を達成させたともいえる。戦国時代の織田信長や徳川家康もそうですが、時代の転換期には、必ず英雄と呼ばれる人たちが出てくるんです。平和な時代には埋もれている人間が、幕末のような動乱期になると、それぞれの役割を持って輝きはじめる。ですから現代の西郷や龍馬も、どこかにいるはずですが、まだ彼らが活躍するときではないから目立たないだけ。

【丹羽】いま出てくると時期尚早で、空回りしてしまうのかもしれません。ただ、自分の財産を捨てて、貧困に苦しむ人に手を差し伸べる。あるいは自分は質素な生活をして、社会的弱者を救済する社会システムをつくる。そういうことをする人が、もっと現れてもいいと思います。

【河合】そうですね。西南戦争で西郷が死んだ翌年の明治11年、大久保利通が東京の紀尾井坂で暗殺されたんですが、死んだときに8000円(現在で約5000万円)という、当時としては莫大な借金しか残っていませんでした。大久保は公共事業に予算がつかないと見ると私財を投じてまでそれを実行したんです。薩摩は西郷ばかりが注目されますが、私は明治という国家の礎をつくった本当の立役者は、大久保だと思っています。

吉田松陰に学ぶ、人を動かす秘訣

【丹羽】龍馬は33歳で先に死んでいますが、西郷も大久保も49~51歳ですか。若いですよね。みんな自分のためではなくて国のため、国民のために生きたところがありました。

【河合】その先駆けが松陰で、黒船に衝撃を受けて「とても刀で戦って勝てる相手ではない」と感じ、黒船に乗り込んでアメリカに密航し、彼らの技術を学ぼうと決意します。敵を知るために命を捨てる覚悟で敵地に乗り込もうというのですから、大したものです。

【丹羽】松陰はテロリストの一種だと私は思っているんです。渡航に失敗して牢獄に入れられ、そこで囚人たちに思想を教えた。指導者としては優れた人だったんですよね?

【河合】ええ。私は長年教師をしていたので、松陰は敬愛しています。松陰は牢獄にいた1年間で500冊の本を読み、感激したところを囚人たちに語りはじめる。獄中は暇なので話が勝手に耳に入ってくる。よく聞いてみると、これがすごく面白い。やがてみんなが松陰の講義を楽しみにするようになる。すると松陰は今度、囚人各自の才能を見つけては、彼らを先生にして字や俳句を皆と共に学びはじめます。こうして数カ月で牢獄が学校に変わってしまう。まさに奇跡ですね。出獄後、松陰は松下村塾を継いで若者たちを指導しますが、彼らは松陰に感化され志士として飛翔していくのです。おそらく松陰がいなければ、高杉晋作や伊藤博文は世に出ず、長州藩が維新の主役になることはなかったでしょう。

【丹羽】私の持論に「パンはペンよりも強し」というものがあります。人を動かすには、食欲を満たすものを与えないといけない。思想で人間を動かすのは難しいですが、松陰はそれをやる力があった。それだけの影響力を持っていたのでしょうね。