日本における「地方再生」はたいてい、インフラ整備や町おこしによって過疎地の人口を増やそうとする。だが、投資家の玉川陽介氏は、砂漠に未来都市ドバイが忽然とできたように、「地方は東京ではできない先進的な取り組みを実験するフロンティア地域を目指すべきだ」と主張する。過疎地の新しい可能性とは――。

*本稿は、玉川陽介『常勝投資家が予測する日本の未来』(光文社新書)の一部を抜粋・再編集したものです。

地方が生き残る唯一の方法

玉川陽介『常勝投資家が予測する日本の未来』(光文社新書)

日本の過疎地は、インフラを整備し、町おこしをして集客し、都市化することを考えている。目指すゴールは東京や大阪か。もしくは、人口を増やして県庁所在地の地位を得ることか。

しかし、未来を真剣に考えればそうすべきではないのは明らかだ。過疎地は、東京ではできない先進的な取り組みを実験するフロンティア地域となるべきだ。テクノロジー、金融、社会システムなど多くの領域で、過疎地をサンドボックス(実験場)化して、未踏の新規事業を推進する。経済的に自立できるシステムは何でも試すことができるようにしたらいい。一方、問題が起きたらすぐにやめればいい。

なぜ地方や過疎地がそれに適しているのか。過疎地で展開すべき挑戦的なプロジェクトとは、マック・ブックひとつでできるような、ちょっとしたウェブサイトやコミュニティの立ち上げではない。条例、村役場のデータ、交通規則、電車やバス、空港の運用、田畑の使い方、建築の許認可のような社会システムを単一の事業者にゆだね、すべてを改革するような大がかりなプロジェクトだ。新しい国をひとつ作るような試みだといっても過言ではない。

これを東京でやろうとすれば不可能なことは容易に想像がつく。東京や大阪の街を大規模に巻き込んだ実験で失敗が続けば、多くの問題がある。だが、過疎地で宅配ロボットを走らせ、自動運転の実験道路を整備し、バイオマス発電所を建設し、無人の村役場を作ってみるなどは可能だろう。

過疎地には高齢者も多くいるため、ヘルスケア事業には欠かせない健康管理データを、大量に取得することもできる。個人情報の扱いについても例外を定めればいいだろう。過疎地に限り、外国人はビザなしで誰でも住めるようにしてもよい。ただし、地方を外国人に占拠されないよう、土地や会社は日本人の所有に限るべきだ。

このように、私企業主導でミニ国家を許可するならば、世界中から都市計画のプロポーザル(競争入札における計画の提案書)が集まるだろう。これは、まったく非現実で検討に値しない話だろうか。