政府の当初の説明と異なる新事実が発覚し、森友学園問題・加計学園問題が再び国会の争点と化している。贈収賄などの違法性はないが、不適切。そのような事実が表面化するにつれ、内閣支持率も大きく下落している。安倍政権はどこで見誤ったのか。プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(4月17日配信)より、抜粋記事をお届けします――。

問題は安倍さんの関与・指示や違法行為の有無ではなく、国民の信頼を損ねたこと

森友学園・加計学園問題が一向に収束しない。その最大の理由は、当初安倍政権が説明していたことと異なる事実や証拠類が次から次へと出てくるからだ。

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まず大前提として、安倍政権が、森友学園への国有地売却や加計学園の獣医学部新設に直接関与・指示した事実や賄賂を受け取ったなどの違法・不正な事実を裏付ける証拠は出てきていない。違法・不正ではないその周辺的事実について、安倍政権の当初の説明と異なる事実や証拠類が次から次へと出てきている状態だ。

安倍政権擁護派は、安倍政権には何の問題もないと突っぱねる。森友学園問題は財務省が勝手にやった悪事であるとし、加計学園問題でも安倍晋三首相と加計孝太郎理事長が飲食・ゴルフをしていたことには何の問題性も指摘しない。

他方、安倍政権倒閣派は、直接的な関与・指示や違法不正の証拠がないにもかかわらず、何から何まで安倍政権の不正だと勝手に決めつける。

僕は今回の問題の真相は、この両者の間にあると考える。すなわち、安倍政権に直接的な関与・指示や違法不正がなくても、国民の信頼を著しく害する事情が存在したのは確かであり、未だその信頼回復ができていないということだ。

民主政治というのは、論理的な正当性だけではなく、有権者の主観的な満足度を高めることも必要となる。論理的にいくら正しくても、有権者から嫌われて支持を失えば、政権の力は弱まり力強く政治を進めることができなくなる。有権者は、論理をひとまず横に置き、「嫌いだ」という感情一つでもって、政権にNOを突き付けることができる。それを防ぐためには有権者の主観的感情的満足度を高める必要があり、これが良い意味でも悪い意味でも、民主政治というものだ。

安倍政権は、自分たちには何の問題もない、一点の曇りもないと認識しているのであろうが、有権者の信頼を失ってしまえば終わりである。今、安倍政権に対する有権者の信頼が落ちていることは確かである。信頼失墜が一定の限度を超えると、安倍さんが何を言っても国民が耳を傾けなくなる状況になる。こうなれば、もはや政権は維持できない。これがポイント・オブ・ノーリターン(引き返せない地点)で、今それに近づきつつある。いくら安倍政権が、自らは一点の曇りがないと認識しているにせよ、今は有権者の信頼を回復することに全力を注がなければならない。安倍政権擁護派のインテリたちは政治家ではない者が多いので、有権者の信頼回復の視点が欠けている。論理的正当性さえ主張していれば大丈夫だという官僚的思考である。これでは有権者からの信頼こそが基盤である政治力は回復しない。

(略)