<strong><53歳で助教授就任>嘉義幸司</strong><br>1946年、北海道生まれ。北海道大学教育学部卒業後、日本オリベッティに入社し、SE、マーケティング業務に従事。その後、TKCの商品企画、広報、システム開発部門の長などを経て、97年に独立。経営情報システムコンサルタント会社を設立する。2000年、富士常葉大学流通経済学部(総合経営学部の前身)助教授に就任し、05年教授に。
<53歳で助教授就任>嘉義幸司
1946年、北海道生まれ。北海道大学教育学部卒業後、日本オリベッティに入社し、SE、マーケティング業務に従事。その後、TKCの商品企画、広報、システム開発部門の長などを経て、97年に独立。経営情報システムコンサルタント会社を設立する。2000年、富士常葉大学流通経済学部(総合経営学部の前身)助教授に就任し、05年教授に。

「振り返ってみれば、若いときから携わってきたITと経営のスキルが、今の自分のバックボーンになっています。私が歩んできたのは会社員、独立後の経営者、大学教員と、立場こそ違いますが、発想の原動力となる源は不変です」

こう話す嘉義(かぎ)幸司さんが、富士常葉大学(静岡県富士市)の開学に伴い助教授に就任したのは、2000年4月のこと。地方の新設私立大学として特徴を出したい大学は、実務に強い教員を求めていた。それを妻の口コミ情報で知った嘉義さんは早速応募。彼のキャリアは評価され、年俸1000万弱を提示されたという。

「非常勤講師でもいいと思っていました。ところが面接の際、専任でどうかと打診されたのです。ただ文科省の教員審査を受けるため、資料の掲出が必要という。サラリーマン時代に寄稿したコンピュータ専門誌などの記事や論文をかき集めました。コピーの厚さは、一昔前の電話帳ぐらいになりましたね(笑)」

その3年前、外資系コンピュータ会社、大手情報処理サービス企業など、およそ27年に及んだ会社員生活にピリオドを打った。ネット関連のコンテンツ制作やシステムコンサルティングを行う会社を起業したので。当初は顧客開拓に苦戦したものの、2年目からは公的補助金の申請代行も手がけ、セットでシステム構築を受注、年商1000万円の大台に乗る。

それが一転、教育者の道へ。実務で培った技術や理論を研究者として究めたかったし、それを社会に還元したいとの思いもあった。

嘉義教授が担当する科目は、「経営情報システム論」「電子商取引特論」など9つに及ぶ。90分のゼミが終わると学生が次々と質問に。彼らとの触れ合いもまた、教育者としての面白さがあるという。

嘉義教授が担当する科目は、「経営情報システム論」「電子商取引特論」など9つに及ぶ。90分のゼミが終わると学生が次々と質問に。彼らとの触れ合いもまた、教育者としての面白さがあるという。

今、大学はサバイバルの時代。組織をマネジメントして経営を強化し、他にはない魅力を広くアピールする能力が求められる。05年に教授になった嘉義さんは、翌年度には総合経営学部長も委嘱。学部150人の定員確保のために地方高校などを奔走、獅子奮迅のPR活動を展開し201人の入学者を確保した。

「どうすれば大学や先生がたを変えることができるか、そんな思いでした。社会あっての大学なんです。先日、私のゼミの卒業生が『先生、飲める?』と研究室に来ました。彼は大手ソフト開発受託会社に就職して3年目。杯を片手に、180人いる同期社員のなかで給与はトップ、チームリーダーに抜擢されたと、目を輝かせて話してくれました」

定年は65歳。だからまだ老け込むわけにはいかない。朝4時半に起床し、片道6キロを歩いてキャンパスへ。そんな生活がまだまだ続きそうだ。

(撮影=宇佐見利明)