トヨタ自動車やシャープなど、事業ごとに独立採算制とする「カンパニー制」の導入企業が増えている。だが日本では20年前、多くの企業が導入するも、経営が混乱し、結局カンパニー制を取りやめるという「狂騒」があった。当時、経営の混乱が起きたのは、なぜだったのか――。
日本のカンパニー制はカンパニー長(プレーヤー)が役員(監督やコーチ)をかねるというおかしなことになっているケースが多い。(写真=iStock.com/FangXiaNuo)

カンパニー制がブーム化した訳

今回の「一穴」=取締役の中に、執行役員を兼務している者がいる

カンパニー制は、1994年のソニーによる導入と1997年の独占禁止法の改正によって持ち株会社形態の解禁がきっかけとなってブーム化した。事業部制機能を強化すること、そして、将来の持ち株会社への移行(当時、その意味を十分理解していたか疑わしいが)を視野に入れて、過渡的形態としてカンパニー制が適切だと判断した。

横並び的にカンパニー制の導入が図られた頃、カンパニー制移行が必要だと考えた当時の理由づけをまず確認しておこう。

・ 意思決定、とりわけ、業務意思決定の迅速化
・ 明確な利益責任とキャッシュフローへの注目
・ 一層の事業の透明性の確保
・ 次世代経営者の育成

事業部制のもとでは、実際には事業部に関する重要な意思決定は事業部単独では行うことができず、取締会での審議決定が必要とされていたので、スピーディーに意思決定を行うことができなかった。国際的な大きな入札については、入札場所での契約条件の変更等の協議を即座に行う必要が生じることがあるが、日本企業は「まず本社に持ち帰り、確認してから後日返答する」と応えるしかなかった。そのため、提案が海外他社よりも優れていても、落札できなかった例は数多い。

事業部はプロフィットセンター(利益中心点)だと言われているが、事業部による大型投資や新規事業への進出は事業部単独で行うことができず全社の承認が必要となる。また、事業部には人事権がない上に、自分ではコントロールできない多額の本社費が負担させられる。事業部利益の計算に当たっては、このような本社費をカバーして、目標の利益が達成されたかどうかが問われている。事業部利益に影響を与える管理不能要因を含めて目標達成が要請される。

このように、プロフィットセンターとしての要件を欠いた「不完全事業部制」がわが国では一般的なのである。また、利益責任だけが与えられるので、資本効率(どれだけの資本でいくら利益をあげたのか)は不明であり、そのため事業の評価基準があいまいとなり、透明性の確保は困難である。

こうした状況では、事業部長は、事業部経営を通じて会社全体の経営を疑似体験できない。つまり、事業部長としてのキャリアだけでは、次世代経営者の育成には不十分なのである。余談になるが、事業部長だけに限らず大企業に勤務する管理者は、加えて、多額のキャッシュを支出する場合にも、それがいかに大金であるかについての感覚が欠落している。金銭感覚を持たずに、数千万円、場合によっては数億円の支出をいとも簡単に決めてしまう。支出が成果を生まなくても、反省することもあまりない。これでは、経営者としては、失格であると言わざるを得ない。