陰毛が写っているヌード写真を「ヘア・ヌード」と呼ぶのは日本だけだ。この言葉の出自ははっきりしている。1993年に『週刊現代』の編集長だった元木昌彦氏が、この言葉をつくったからだ。仕掛け人である元木氏は「ヘア・ヌードは性表現規制への挑戦だった」と振り返る――。

講談社と「ヘア・ヌード」の歴史と因縁

『石田えり写真集 56』(講談社)が発売された。

定価は9054円。持ち重りのする豪華なものである。56歳になるえりの写真を見ながら、24年前、私が『フライデー』編集長のときに作った彼女の『罪 immorale』のことに思いをはせた。

石田えり(著)、ピーター・リンドバーグ(写真)『石田えり写真集 56』(講談社)

その写真集の前に、講談社としては初めてになるヘア・ヌード写真集『荻野目慶子 Surrender』を92年9月に出している。カメラマンは「写楽」。荻野目の不倫相手で自殺したカメラマンが撮っていたプライベート写真だが、名前を出すことはできないため、私が考えた名前だった。

写真集のパブのため、『週刊文春』の花田紀凱編集長(当時)に取り上げてくれるよう頼み、部数はたしか20万部近く刷った。刷りあがり、次の週始めに売り出すはずだった。だが、直前に「発売はまかりならぬ」という役員会の決定が出たのだ。

理由は、写真家が不明のいかがわしい写真集を出すわけにはいかないというものだった。企画の段階で担当役員の了承を得ていたのに、社長の一存でひっくり返されてしまったという。約3000円×20万部がそっくり廃棄処分になり、その費用も編集部に負担させられる。さすがに強気の私もガクッときた。

マドンナの写真集『SEX』は1億円

そこにタイミングよく文春のゲラ刷りが回ってきたのだ。荻野目の写真集が大きく紹介されている。それを見た役員たちが再び集まり、こう大きく文春に出ては、出版しないとさらに大きなスキャンダルになると考えたようだ。

社長に進言し、社長もそれを呑んだ。発売された写真集は、スキャンダル的要素もあり文字通り飛ぶように売れた。

次に持ち込まれたのはマドンナの写真集『SEX』だった。単行本の著作権は1億円だったと記憶している。思案したが、1回だけの掲載権を1000万円で買うことにした。

マドンナの挑発的なポーズと文章。見事な彼女のヘアがはっきり出ている。だが、これをボカシてしまったら、価値が半減する。もし桜田門(警視庁)が発禁処分をいってきても、そのときはほとんど完売しているはずだ。目をつぶって発売した。もくろみ通り完売したが、桜田門からは何もいってこなかった。

このあたりから流れが少し変わってきたと、私は読んだ。

91年には篠山紀信撮影による樋口可南子の『water fruit』(朝日出版社)が出ている。当時としては相当過激な写真集である。次は朝日新聞の全面ヌード広告で度肝を抜いた宮沢りえの『Santa Fe』が爆発的に売れた。92年に公開された映画『美しき諍い女』(ジャック・リヴェット監督)が、全編ヘアが出ているにも関わらず、映倫(映画倫理委員会)の審査を通過していた。