2018年のNHK大河ドラマは「西郷(せご)どん」だ。主人公の西郷隆盛は、「空前絶後の偉人」といわれる。そんな西郷さんは『言志四録』という陽明学の本に心酔し、101カ条を抜き書きしている。「己を見失うな」「近道には落とし穴がある」など、内容は平易だが、含蓄は深い。西郷さんの思考法を、作家の城島明彦氏が解説する――。(第3回、全3回)

試練をどう乗り越え、人生にどう活かすか

その時点で気づくか気づかないか、それが大きいか小さいかといった違いはあるものの、人は誰でも、長い人生行路の中で幾度も「試練」という名の分岐点に立たされる。西郷隆盛の最初の分岐点は13歳のときだった。けんかで利き腕を斬られて骨に達する深手を負い、自由に動かせなくなったのだ。そのとき西郷は、剣の道を諦め、読書する道を選んだ。

次の分岐点は20代。22歳のときに禅を学ぼうと思い立って禅寺を訪ね、座禅を組んでいる僧に何度も声をかけたが無視されたので、殴りかかろうとすると「喝!」という大声に驚き、己の未熟さを思い知った。24歳のときには、「お由良(ゆら)騒動」と呼ばれる島津斉興(なりおき)の世子斉彬(なりあきら)と三男久光(側室お由良の方の子)の後継者争いを経験する。そのお家騒動で西郷の父の主筋(主君に近い関係)にあたる赤山靱負(ゆきえ)が切腹を命じられ、届けられた血染めの下着を見て西郷は、「急(せ)いては事を仕損じる」ということの重要さや「人の和」の大切さを学んだ。

また、西郷は26歳のときに伊集院須賀という女性と結婚するが、その年に父、母が相次いで死去するという不幸に見舞われる。28歳になると島津斉彬に抜擢されて参勤交代のお供で江戸勤務となり、家庭を犠牲にする。留守宅を任されたお嬢さま育ちの新妻は心労に堪えかねて実家へ帰り、離婚する。嫌いで別れたわけではないので、西郷の心に大きな傷が残る。西郷ほどの人間でも、身辺で起きる大小さまざまな悲しみや苦しみを乗り越えて大きくなっていったということだ。

最大の分岐点は、何といっても「島流し」である。西郷は離島で多くの書物を読み、自分を磨きに磨いた。自分で体験できることは限られている。それを補うのが人の体験から学べる読書なのだ。西郷が繰り返し読んで書き込みを入れたのは「大塩平八郎の乱」で知られる大塩中斎の『洗心洞箚記(せんしんどうさっき)』であり、4巻から成る語録の中で心に響く101カ条を紙に書き写して「座右の訓戒」としたのが佐藤一斎の『言志四録』である。大塩・佐藤に共通するのは「日本陽明学者」ということだ。佐藤は幕府の大儒として朱子学を講ずる身でありながら、幕府が認めない陽明学に裏で共鳴心酔していた点が特筆すべき点だ。

西郷が座右のバイブルとした『言志四録』は、佐藤が42歳から11年を費やして著した『言志録』に始まり、57歳から10年かけた『言志後録』、67歳から12年かけた『言志晩録』、80歳から2年かけた『言志テツ録』(テツは上が老・下が至)の4部作から成り、全項目は1133に達する。そこから西郷が抜き書きした101カ条を『手抄言志録』または『南洲手抄言志録』と呼んでいるのである。岩波文庫の『西郷南洲遺訓』に収められた分量でいうと、漢文と読み下し文を含めて40ページしかないが、ここでそのすべてを紹介することはできない。