「うま味」の正体グルタミン酸を発見し、「味の素」の発明者となった池田菊苗。その原動力となったのは、日本人の栄養状態を改善し食生活を豊かなものにしたいとの願いだった。そんな純粋科学と実学の双方で不朽の功績を挙げた化学者の生涯を、文豪夏目漱石との印象深い交流を交えつつ、綿密な取材に基づいて描いた評伝小説である。

うえやま・あきひろ●1955年、岐阜県生まれ。作家。特許庁産業財産権教育用副読本策定普及委員などを務める傍ら、文学と科学の融合を目指す執筆活動を展開する。著書に『白いツツジ──「乾電池王」屋井先蔵の生涯』『発明立国ニッポンの肖像』などがある。
上山明博●うえやま・あきひろ 1955年、岐阜県生まれ。作家。特許庁産業財産権教育用副読本策定普及委員などを務める傍ら、文学と科学の融合を目指す執筆活動を展開する。著書に『白いツツジ──「乾電池王」屋井先蔵の生涯』『発明立国ニッポンの肖像』などがある。

本書の主人公、池田菊苗は1864(元治元)年に薩摩藩士の子として生まれ、89(明治22)年に帝国大学理科大学化学科(現在の東京大学理学部化学科)を卒業後、ドイツ、イギリスへと留学。帰国後の1901(明治34)年に母校の教授に就任し、当時最先端の物理化学という分野の導入に努める一方、「うま味」そして「味の素」の研究開発に専心する。

そんな池田菊苗について、著者は「味の素の発明者としての知名度に隠れがちですが、実は日本の化学界に残した功績は大きく、その影響は広範囲へとわたっているのです」と語る。

例えばうま味成分を正確に測定するため開発した「桜井-池田沸点測定法」は、現在では分子量測定法の主流として世界中の化学者に定着しているという。さらに池田菊苗が帰国後にテーマの一つとした「触媒」に関わる研究は、その後日本の化学界の“お家芸”となり、その系譜は野依良治や鈴木章、根岸英一などほぼ1世紀後のノーベル化学賞受賞者まで引き継がれていると著者は力説する。「その意味で、日本化学界の偉人であることは間違いありません」。

また本書を通して、化学者としての業績に劣らず目をみはるのは、家族との団欒を何より大切にするよき家庭人、文学や絵画に関する該博な知識を併せ持った心豊かな教養人としての池田菊苗の人となりだ。うま味成分発見のきっかけとなった好物の湯豆腐を家族で囲むシーン、そしてロンドン留学時代に漱石と共に過ごした――後に漱石の『文学論』の萌芽となる――53日間にわたるエピソードなどを、著者は丹念に描いていく。

「漱石と対等に文学論を交わすことのできた出色の教養人池田菊苗は、同時に学問を通じて“公”に貢献する志を忘れない気骨ある明治人。そして何より、オリジナリティに乏しいと言われがちな日本人の中で真にオリジナルな研究に挑み続けた本物の科学者だったのです」

一読すれば、そんな著者の思い入れは、読者の共感となるだろう。もっと知られて然るべき日本人を知るために、ぜひ手にとってほしい一冊である。

(薈田 純一=撮影)