2015年12月、東京・巣鴨の「蔦(つた)」が、ラーメン専門店として初めて「ミシュランガイド」の一つ星を獲得した。1年間に700杯以上を食べる通称「ラーメン官僚」の田中一明氏は「これが日本の誇るラーメンだ」と評価する。だが、蔦は受賞からしばらくして、1杯1000円から900円へと価格を100円下げた。なぜなのか――。

※本稿は、田中一明『ラーメン超進化論 「ミシュラン一つ星」への道』(光文社新書)の第1章を再編集したものです。またメニュー名、価格等は取材当時のものです。

閉店後に取材に応じてくれた、「蔦」の店主・大西祐貴氏(左)と店長・伊丹敏隆氏

史上初のミシュラン一つ星ラーメン店

「Japanese Soba Noodles蔦」は、2012年1月26日、東京・巣鴨の地で産声(うぶごえ)を上げた。店主である大西祐貴氏は高校を卒業後、実父が経営する「七重の味の店めじろ」(神奈川県藤沢市、東京都渋谷区で営業、2013年に閉店)で修業。

一時期、ラーメン業界を離れアパレル業界へと転職し、バイヤーとして活躍するが、胸に期すところがあり、再びラーメン職人の道へ進んだ。再度「めじろ」の厨房に立ち腕を磨いた後、満を持して独立したという経歴の持ち主だ。兄も神奈川県でラーメン店を経営している、ラーメンづくりのサラブレッドと言える。

「蔦」を端的に表現すれば、「日本でも有数の個性派店主が腕を振るう、最もハイレベルな店」。この一言に尽きる。

そう、それはすなわち、全国約3万5000軒のラーメン専門店のトップに君臨する店ということだ。ここで言う「ハイレベル」とは、ラーメンの味はもちろん、ラーメンづくりに注ぎ込む店主の魂の熱量といったものも含まれる。およそラーメンを創作するに当たって求められる、あらゆる要素が日本一なのだ。

ラーメン愛好家として身も蓋もない発言かもしれないが、料理の味の良し悪しを判断するに当たっては、明確な物差しは存在しない。人それぞれ味の好みがあるからだ。だが、「蔦」のラーメンは、個人の好みの範ちゅうを超えた次元にある。仮に、これまでどんなラーメンを食べても満足したことがない、味に厳しいグルメ評論家がいたとしても関係ない。そんな評論家をもってしても、強引に「美味い!」と言わせてしまうのが、大西店主のラーメンだ。

メニューの味は変える、レシピは作らない

人間が美食を愛する生き物である限り、愛されることが確約された、絶対に揺らぐことのないおいしさ。そんな「蔦」のラーメンのクオリティは、ストイックという言葉を超越した、尋常ならざる研鑽(けんさん)によって支えられる。大西店主に改めて話を聞いてみた。

「創っているラーメンが自分にとって少しでも満足できないものになれば、ためらうことなく直ちに味を見直します」と大西氏は言う。「何らかの形で将来、役に立つのではないか」と、味を変えた後も、変更前のラーメンのレシピを残しておく店主は多い。だが、大西氏は、「過去を振り返っても意味はない」と、レシピを残さないどころか、昔の味の組み立て方さえ、あえて忘れ去る。

オープン当初から同店の代表メニューは「醤油Soba」(醤油ラーメン)であるが、味を何回変えたのかを、全く覚えていないという。大西氏が自らに課している唯一の決めごとは、新しい素材を試すときは、その素材のみを使って出汁(だし)を採ってみることだそうだ。

「気になる食材が見つかれば、あれこれ考えずにまずは取り寄せてみるんです。で、その素材だけを使って出汁を採ってみる。そのときに、『この素材は自分と相性が良い』と感じることができれば本格的に採用する。そうでなければ、いくら良さそうな素材であっても躊躇なく切り捨てます」

作り手が自分自身である以上、自分と相性が良くなければ、結局、頭の中で思い浮かんだ味のイメージと食い違ってしまうからだという。