囲碁は朝鮮半島の国民的娯楽だ。韓国出身で世界最強のイ・セドル棋士が、グーグルの囲碁AI「アルファ碁」に負けたとき、韓国全土に大きな衝撃が走ったという。だが、実は10年ほど前まで、世界最強の囲碁AIは北朝鮮製だった。その強さはなぜ失速したのか。またそもそも、どうして北朝鮮は囲碁AIを研究していたのか――。
2016年3月15日、ソウルのホテルで、自身のサイン入りの囲碁盤を「アルファ碁」開発企業の最高経営責任者(CEO)デミス・ハサビス氏(左)に贈る韓国人棋士李世ドル九段(写真=AFLO)

「アルファ碁ショック」がもたらしたもの

いまや囲碁AIの代名詞ともなった、グーグル・ディープマインド社の「AlphaGo(アルファ碁)」。その名を世界に知らしめたのは、2016年3月に行われた韓国イ・セドル棋士との世紀の対決だった。対局の結果は、人工知能「アルファ碁の」の圧勝だった。国民的英雄の敗北に接した韓国の人々は、老若男女問わず、途方もなく大きな衝撃を受けたという。いわゆる「アルファ碁ショック」の到来だ。

「田舎に新しい車が通るみたいな感覚です。それまで韓国一般社会では、人工知能はあくまでSF世界に出てくるもので、現実のものではないと思われていたのです」

韓国テクノロジー専門メディア「テックホリック」を運営するイ・ソグォン記者は、当時の韓国社会の様子をそう振り返る。

「1997年にディープブルーがチェスチャンピオンに勝ったときも、あくまで他人事だった。しかし囲碁は、韓国人なら誰でも1回はやったことのある国民的ゲーム。しかもイ・セドル棋士に勝ってしまったとなれば、もう受け入れるしかなくなった」

「アルファ碁ショック」は、韓国政府や企業の動向にも大きな影響を与えた。どちらかというと好影響である。韓国における人工知能研究・開発、実用化への試みは20年以上前から始まっていたが、この出来事が日陰に隠れた同分野に一気に世論の関心を集中させた。現在、社会のテクノロジー熱の高まりを受け、サムスンやNAVERといった国内大企業を中心に、人工知能の研究・開発、投資が盛んに進められている。

だが実は、韓国が位置する朝鮮半島は、「アルファ碁ショック」以前から囲碁AIと縁の深い地域だった。アルファ碁登場の約10年前、世界を席巻していたのは、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の囲碁AI「ウンビョル」だったのだ。