「いまに破裂する」といわれながら、中国の不動産バブルはなかなか破裂しない。実は「すべての土地は政府所有」であるはずの中国で不動産が売買されるようになってから、まだ20年ほどしかたっていない。価格の急上昇を演出するのは地方政府、開発業者、そして銀行の「3大悪人」だ。官製の「土地資本主義」はいつまで続くのか――。

土地の流通が始まってまだ20年

中国では土地は国有で、そこには地価というものがなかった。そんな中国で住宅の流通が始まったのは90年代だった。わずか20年ほど前の1998年、中国政府は住宅の現物支給を打ち切り、「住宅問題は自助努力で解決せよ」と政策を転換させたのである。貨幣価値を持つようになった土地は、「使用権」を開発業者に競り落とさせる方式で流通を始め、商品化した住宅の市場は一気に拡大した。

同じ時期、上海郊外で「土地の利用効率を高めよう」という政府のスローガンを掲げた横断幕が張られた。これはまさしく「土地の商品化」を象徴するものだった。筆者が90年代末に訪れた上海市嘉定区の農村は、2000年代後半にはすっかり住宅地に変わってしまった。

90年代末から2012年までに中国は「超高度経済成長」を達成したが、これを牽引したのは、住宅に対する膨大な潜在需要に伴うセメント、鉄鋼などの重厚長大産業だった。また、中国では「不動産、建設業だけでざっとGDPの1割を占める」と言われるが、ゼロから始まったこの分野はとてつもない巨大産業に成長した。

実は日本人も中国で儲けた

筆者は中国の不動産市場を、上海を拠点に定点観測している。筆者が上海で生活を始めたのは1997年のことだが、90年代末にはすでに目端の利く日本人が、中国人を名義人にして住宅を購入していた。その後、規制は緩和され、上海で1年以上居住すれば外国人でも不動産を購入できるようになった。中国不動産の恩恵にあやかったのは、中国人だけではなかったのである。

中国がWTO(世界貿易機関)に加盟した2001年を前後して、日本企業の対中進出ラッシュが顕著になった。日本企業が現地法人を立ち上げようと奮闘する中で、足元では沸々と不動産バブルの泡が成長し始めていた。当時、現地職員の最大の関心事と言えば、一も二もなく「住宅購入」だった。社内の不正に手を染めた現地社員を問いただすと、「住宅の頭金が欲しかった」という回答が返ってきたのもこの頃だった。

その一方で、毎年、上昇する住宅価格に市民が焦り始めていた。物件の販売開始日には前日から行列ができる。しかしほどなくして「全部售(ふるとりに口)完了(完売御礼)」の札がかかってしまう。価格をつり上げるための露骨な売り惜しみも行われた。ちなみに、日本では戸建て購入という選択もあるが、中国で一般市民が望んでいるのは100平米(平方メートル)を標準とする集合住宅である。

2000年代前半、北京には66頭の牛皮でできた壁紙を張り巡らせた、度肝を抜くような高級マンションが出現した。2000年代後半、上海にも世界一の平米単価をつける高級住宅「湯臣一品(タンシェンイーピン)」が出現した。こうしたバブリー物件が続々と登場する反面、「まじめに働いて預金をしても、マンションの一室も持てない」というのは、2000年代を上海で生きた市民に共通する嘆きだった。

国営工場などで働く中国人は工場が提供する住宅に住んでいたが、平均面積9平米という粗末な家から脱出するべく、自力でマイホームを獲得しようと奮闘した。都市部で生活する外省出身者(外省とは自分が居住している省以外の省のことを指す)は上海に根を下ろすべく安住の家を求めた。2000年代にはインフレ懸念も高まった。こうして国民にとって住宅購入はすべてに優先する価値になって行った。

しかし、その価格は庶民の購買力をはるかに上回るまで駆け上がってしまった。