多くの神社は「氏子」と呼ばれる地域に定住する人々に支えられている。そのため地域に人がいなければ、神社は成り立たない。だが、人がわずかしか住んでいない「銀座」で、近年神社が増え続けている。今年オープンしたGINZA SIX(ギンザシックス)の屋上庭園にも神社がある。なぜ銀座で神社が増え続けているのか。宗教社会学者の岡本亮輔氏が読み解く――。

ギンザシックスに鎮座する神

今年4月、GINZA SIX(ギンザシックス)がオープンした。松坂屋銀座店の跡地を中心とする大規模な再開発だ。クリスチャン・ディオールやイヴ・サンローランといったハイブランドをはじめ、蔦屋書店など流行の先端をいく店舗が数多く入っている。その13階には4000平方メートルの屋上庭園がある。白いパラソルが並び、休日ともなれば、昼間からワインやシャンパンを飲む人もいる。

ギンザシックス(画像/著者提供)

この庭園に神社があることはご存じだろうか。なぜこんなところに神社があるのか。実は、銀座と神社には深い縁があるのだ。

銀座の街には無数の飲食店や商店がひしめく。店舗の多さや居並ぶ店のレベルの高さから広い街のように感じられることもあるが、1丁目から8丁目まで合わせても、1平方キロメートルにも満たない。

江戸時代、この場所に銀貨鋳造所・両替所(=銀座)があった。そのため、正式名称は新両替町であったが、一般には銀座と呼ばれた。その後、不正事件が生じて銀座員全員が職を解かれ、鋳造所・両替所は移転。通称だけが残ったのである。

近代化を象徴する街に根付いた業種

維新後、築地の外国人居留地や隣接する新橋駅との立地関係から、銀座はすぐに明治日本を象徴する地域になった。日本の近代化を形として示すため、国策で銀座はレンガ造りの街並みに改造された。その名残は、現在ビームスやシップスのある「銀座レンガ通り」にそのまま残されているし、ハヤシライス発祥とされる「銀座 煉瓦亭」もその名を冠している。

とはいえ、レンガ造りの建物は当時の人々には奇妙に映り、「レンガ造りの家に住むと水ぶくれになって死ぬ」といった噂も流れた。そんなこともあり、銀座に根づいたのは、そうした迷信を気にしない輸入物を扱う商店や新聞社といった近代的な業種であった。銀座商店の象徴ともいえる時計店「天賞堂」や「服部時計店(現在の和光本店)」が店を構えたのも1880年前後だ。現在もドラマ撮影などによく使われる奥野ビルは1930年代の建築だが、レンガ街としての銀座イメージを伝える建物といっていいだろう。設計は同潤会建築部長も務めた川元良一によるもので、かつては銀座屈指の高級アパートだった。

このように、銀座には農村や住宅地としての過去がほとんどない。それでも20世紀初頭には2万7000人ほどの住民がいたが、近年では3000人程度だ。この数字がどこまで実態を反映しているのかもわからない。一方、昼間人口は10万人を超えている 。