元銀行マンが移住を決断したわけ

日本三大裸祭りの1つである「古川祭」で知られる岐阜県飛騨市。人口の減少に悩んでおり、昨年3月に市長に就任した都竹(つづく)淳也氏のリーダーシップのもと、空き家の賃貸住宅化をはじめとする支援事業を推進し、移住者の受け入れに積極的に取り組んでいる。

▼岐阜県飛騨市 TOWN DATA
1人当たり課税対象所得254.2万円 総人口26,732人 待機児童数0人 小売店数329店 一般診療所数25カ所

※総務省統計局『統計でみる市区町村のすがた』より

そうした飛騨市への移住でパイオニア的な存在が、仲間3人で山林施業会社のバルステクノロジーを14年1月に設立した藤田憲一郎さんだ。取締役に名前を連ねているが、藤田さん自ら山に入り、高さ20メートルほどに育った樹齢80年前後の杉の木を、チェーンソーを使って2分足らずで切り倒す。

切り倒した高さ20mを超える木の上に立つ藤田憲一郎さん。

1972年生まれで現在44歳の藤田さんは、林業の世界に入って20年以上のキャリアを持つベテランなのだが、「社会人になった当初は銀行マンでした」と意外なことを口にする。同じ岐阜県内の多治見市に生まれた藤田さんは高校を卒業後、地元の銀行に就職した。それから1年後、飛騨市に隣接する高山市内の支店へ転勤となり、そこで人生の転機を迎える。

「スキー場で格好よく滑り降りてくるスノーボーダーの姿に魅了され、『自分もやってみたい』と思うようになったのです。見よう見まねで練習を始めると、その面白さにはまり込んでしまいました。土日はもちろん、平日はナイターで楽しんでいました。しかし、転勤してから3年後に多治見への異動が決まったのです。とはいえ『毎日スノボーをしたい』という思いがどうしても断ち切れず、退職して残ることを決意しました」

そして藤田さんが、日々の糧を得る手段として選んだのが林業だった。チェーンソー1つで生きていくことへの憧れとともに、「自分で切った木でスノーボードを作り、それで滑ってみたい」という思いも重なったのだという。