45歳の「女社長」川崎貴子氏は、昨年10月、乳がんの宣告を受けた。「40代が最高に幸せだ」。そう言い切る川崎氏は、「絶対に完治させること」「乳がんの経験を無駄にしないこと」の2つを自らに課し、「乳がんプロジェクト」をはじめた。著書『我がおっぱいに未練なし』より、その顛末を紹介しよう――。

※この記事は、川崎貴子『我がおっぱいに未練なし』(大和書房)の「Chapter1 ガンの宣告」「Chapter6 さよなら、おっぱい」を再編集したものです。

2016年10月14日:乳がん宣告を受ける

今日もここ(とある国立病院の乳腺科外来)は、不安な顔をした女性たちでいっぱいだった。芸能人の乳ガン・カミングアウトが続いたからか、少しでも「あれ?」としこりめいたものを見つけてしまった女性たちは今、以前よりフットワーク軽く検診に足を運ぶらしい。混みまくっているのは不便極まりないが、女性たちにとって「すぐに検診!」は良い流れと言えるだろう。

ここに来るのは先週と今日で2回目だが、前回同様14時の予約で16時になってもお声がかからない。後ろにアポを入れなかった私の、ビジネスマンとしての勘を心から褒めてあげたくなる。それにしても気が遠くなるほど待ち時間が長い。仕方なく、ガンか否かの検査結果を待ってくれている友人に、「この待ち時間のせいでガンになりそうです」という不謹慎なLINEを送って溜飲を下げたりする。

そもそもここに来ることになった経緯は次の通り。

<9月初旬>右おっぱいにしこりを発見。

<9月中旬>のん気に家族旅行に出かける。

<9月末日>人間ドックへ行きマンモグラフィー(乳房をX線撮影する検査)とエコー検査(乳房への超音波検査)を受けてしこりを確認。しこりが良性か悪性か判定する検査が必要と言われ、針生体検査(細胞を一部とって、しこりや分泌物の成分を検査する)が可能な国立病院への紹介状を書いてもらう。

<10月初旬>紹介された「比較的自宅に近い」「乳ガン手術で有名」な国立病院へ。再びマンモグラフィーとエコーの検査を受け、右おっぱいに細胞を採取する注射をブスブスブスと3本お見舞いされる。

……そして今日はその検査結果を聞きに来た、というわけだ。本来ならば、丁か半か「ドキドキの判決日」である。しかし、前回病院に来たとき、マンモグラフィーのデータを見たり、エコーを操りながら目を凝らしたりする先生の、所作や間を一挙手一投足観察していた私は8割方、自分は乳ガンであるという当たりをつけていた。

なので、この1週間、乳ガン・サバイバーの友人(抗ガン剤治療を受け、全摘出手術後5年経過して再発ナシ)に相談したり、彼女が書いた乳ガンの本を読み返したり、ネットで調べたりして、自分なりの治療方針(あくまでも素人の希望)を勝手に妄想し、諸々の準備OK状態で臨んだのだった。