作家の辻村深月さんは、学生時代に念願だった作家デビューを果たせず、20代には「会社員の私はまだかりそめの姿」と考えていたという。なぜそうした価値観を変えることができたのか。「頭でっかち」だった辻村さんの人生を変えたのは、職場の人たちの働きぶりだった。自分を成長させる「一流の心がけ」とは――。

自分の価値観が絶対だと思い込んでいた

一般企業に就職したとき、私は挫折感を覚えていました。なぜなら小学生の頃から作家になることに憧れ続けていたのに、学生時代に作家デビューを果たせなかったからです。絶対に作家になりたいと思っていたので、入社当時は「会社員の私はまだかりそめの姿」なんて驕った考えを持っていました。

辻村深月●1980年生まれ。2004年に『冷たい校舎の時は止まる』でデビュー。『ツナグ』で吉川英治文学新人賞を、『鍵のない夢を見る』で直木賞を受賞。近著に『東京會舘とわたし』(毎日新聞出版)など。

私に限らず、20代の若い頃って、自分の好きなものや価値観ばかりを頭の中で耕して、頭でっかちになりがちな時期です。自分の価値観が絶対だと思い込んでいるから、自ずと視野が狭くなって、周りの人にも敬意を払えなくなる。私自身、職場の先輩の「小説は司馬遼太郎しか読んだことがない」なんて声を聞くと、若者の文化を知らない、頭が固い人なんだと決めつけたりしていました。

でも、仕事の現場では、そんなふうに思っていたはずの人たちから力を借りたり、仕事を教わったりしなければ何もできない現実に直面します。私は職場の下っ端にいる、仕事のことが何も見えていない小娘にすぎないと思い知らされたんです。

そこで職場の人たちをよくよく見てみると、本はぜんぜん読まないけれど身のまわりで起こっているニュースのことについては聡い人、社交性がないけれど真面目に資料管理ができる人など、いろんなタイプの人が見えてきました。人の長所や頭のよさというものが一面的ではないことに気づかされた私は、その道のプロフェッショナルのかっこよさというものを初めて知りました。そのおかげで入社して早い段階で、頭でっかちの自分の価値観を捨て、一気に視野を広げられた気がします。

念願叶って私は24歳で作家デビューを果たし、その後5年ほど、作家と会社員を兼業していました。原稿料という副収入が発生してしまうこともあり、会社にはすぐに作家と兼業になってもよいかどうかを相談しました。

すると恵まれたことに、常務をはじめ、職場のみなさんが兼業になることを受け入れて、私を応援してくれたんです。会社を辞める直前に知ったのですが、私を育ててくれた上司は「いつかあの子はここからいなくなる。でも、会社にいるうちはどこまでも役割を与えるし、きちんと育てていく」と職場の人たちに申し送ってくれていたらしいんです。

目標や実現したいことを口に出して周囲に伝えることは、周囲からバックアップを得るためだけでなく、自分にプレッシャーをかける方法としても、有効です。不言実行のほうが「いつの間にそんなことをやっていたの?」と驚かれて気持ちいいし、失敗したときのリスクも低い。でも宣言した夢が叶わないことなんて、本人には重要なことでも、他人からしたら、実はそんなにたいしたことではないんですよね。ならば、どんどん自分の思いや考えを人に発信して、自分を追い込みながら、周囲の応援を得たほうがずっといいですよ。