ウソをつくことは倫理に反する。場合によっては法にも反する。おまけに、戦略的にもマイナスな場合が多い。ウソをつかないで自分の望むものを手に入れるためにはどうするか。

大手消費財メーカーの部長ダニエルは、担当部署の詳しい予算要求書を提出するよう副社長から命じられている。ダニエルには予想コストを過大に見積もる動機がある。予算オーバーになったとき、予算にもともと多少の余裕が組み込まれていれば、会計年度の途中で予算の増額を願い出なくてもよいため、なにかと都合がよい。

しかも水増し要求の誘惑に屈する部長はダニエルだけではない。そのため、各部の要求の合計額は会社全体の予算を上回ることになる。副社長は、各部が「本当はいくら必要なのか」をきちんと見抜けない。必然的に、必要以上の予算を与えられる部もあれば、十分な予算をもらえない部も出てくる。ダニエルは要求どおりの予算を獲得するが、当初の要求を正当化するために、余裕分を無駄遣いしてしまう。

交渉でウソをつくべきではない理由はいろいろある。ウソをつくことは倫理に反するし、場合によっては法にも反する。そのうえ、戦略的にもまずい場合が多い。それでも、大きな利害が絡んでいる場合には、ウソをつきたいという気持ちが抗しがたいほど強くなることがある。ウソをつくことは、一方では倫理的ジレンマ──正しいことをするべきか、自分に最も利益になることをするべきか──を生む。それは同時に、戦略的ジレンマでもある。ウソから利益を得られても、そのウソがばれたら信用も利益も危うくなるからだ。

複数の調査で明らかになったのは、大多数のマネジャーが交渉でウソをついたことがあり、事実上すべてのマネジャーが交渉相手にウソをつかれたことがあると思っていることだ。ネゴシエーターがウソを選ぶ理由は、さまざまであろう。

・相手の感情を害さないため、もしくは相手の顔を立てるため
・だまそうとしている相手から自分を守るため
・不当な扱いをされていると感じた場合に、対等な立場と公正さを取り戻すため
・利益を得る、もしくは損失を避けるため

本稿では、もっぱら4番目のカテゴリーのウソ──倫理的ジレンマと戦略的ジレンマの両方がついてくるウソ──に焦点を当てる。このような意図的なウソでは、正しいことをするべきか、利益になることをするべきかという選択が最も明確な形をとる。そのうえ、ウソがばれたときは、単に個人的利益のためにウソをついたとみなされる場合が最も大きい。意図的なウソは倫理的に不快で、明らかにリスクを伴うため、道徳的に行動したいが交渉の席で身ぐるみはがされたくはないと思っているマネジャーのために、ウソに代わるどんな方法があるのか考えてみるのは意義のあることだろう。