日本橋の橋上を走る首都高速道路の地下化が計画されている。2020年の東京五輪後に着工予定で、事業費は数千億円規模だという。この国の計画に小池百合子都知事も賛同を示し、「東京が持続可能であるためには、首都高撤去が不可欠」と述べた。だが、本当に首都高は撤去すべき「悪」なのだろうか。宗教社会学者の岡本亮輔氏は、「首都高こそが東京の風景に不可欠ではないか」と疑問を呈する――。

今年7月、国土交通省が日本橋の橋上を走る首都高速道路を地下化する方針を明らかにした。政府・東京都・民間企業などからも、これに賛同の声が上がっている。

地下化の理由は耐震化に加え、周辺地域の再開発や観光振興などだ。そして後者に関連して、首都高撤去による景観の回復が称賛されている。日本橋上に空を取り戻すことで「江戸の風景」がよみがえるというのだ。

日本橋上の空をめぐっては、かねてから議論が存在していた。2005年、小泉内閣が日本に美しい景観を取り戻すという働きかけを行い、その過程で「醜い日本の景観」リストが公開された。そこにも日本橋上の首都高が含まれていた。

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現在かかっている日本橋は、1911年(明治44年)に開通した。そして実はその際にも、橋の美しさをめぐる議論が生じている。首都高を撤去すると、いったい何が現れるのだろうか? 100年前の日本橋論争を振り返ってみよう。

現代の首都高の美醜論争

国交省が発表した計画によれば、江戸橋ジャンクションから竹橋ジャンクションまでの3km弱の首都高が地下化されることになる。日本橋から東京駅の脇を抜けて皇居北の丸へ至るこの区間は、まさに東京中枢部と言ってよい。

小池百合子都知事も、すぐに国交省の方針に賛同した。記者会見では、首都高が日本橋上を走るのは、歴史や文化を無視して利便性だけを追求してきた結果であり、「これまでのインフラの悪しきモデル」だと述べた。そして、東京が持続可能であるためには、首都高撤去が不可欠だとしたのである。

日本橋上の首都高撤去運動には歴史がある。1963年に名橋「日本橋」保存会が結成された。同会は日本橋界隈の町内会・老舗経営者・企業会員・個人会員等からなり、文化財としての日本橋の保存運動を続けてきた。1971年に始められた「橋洗い」は47回を数える伝統行事だ。今年は1800人以上が参加してデッキブラシやタワシで日本橋を洗いあげた。

保存会が掲げるスローガンのひとつが「日本橋に青空を!」だ。公式ウェブサイト(www.nihonbashi-meikyou.jp)では、次のような「趣旨」が宣言されている。

天下の名橋であり、わが国道路の原点である日本橋に、昔日の面影はない。高架高速道路の足元に喘ぎ、美観、風格は損なわれ、かつての威風は地に落ちたと言わざるを得ない。わが保存会としては東京オリンピック成功を担った高速道路のはたらきに賛辞を惜しむものではない。然し、わが国における日本橋の存在は限りなく巨きく、国民の心に脈うつ日本橋への愛情の念は、いよいよ深い。われわれ保存会は、こよなく日本橋を慈しみ、橋洗いなど日常活動を実施しているところである。 わが日本橋に、かつての如く陽光がふりそそぎ、街に生気と潤いの満ちる日を架橋400年を閲した今、待望するや切である。

首都高に台無しにされた日本橋を救い出すという強烈な使命感と愛着が読み取れる。保存会は、2015年9月、33万名近くの署名と共に「日本橋地域の上空を覆う首都高速道路の撤去又は移設に関する請願書」を衆議院議長に提出した。今回の地下化は同会の活動が奏功したものとも言えるだろう。