全国の夏祭りの中でも深い歴史と勇壮さで知られる「博多祇園山笠」。今年は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されたことでも注目されたが、その山笠を長年支えてきた企業のひとつに、辛子明太子の「ふくや」がある。創業者が特許を取らず、誰でも商品化できるようにしたため、辛子明太子は博多名物となった。「地域あってこそ」というその精神は、祭りとともに今も生きている。「ふくや」で働く人々を通して、企業と祭り、地域の“支え合い”を考えた。3回連載の第1回。

※当記事はqBiz 西日本新聞経済電子版の提供記事です

追い山で櫛田神社の清道を駆け抜ける一番山笠・中洲流=7月15日午前5時頃(撮影・佐藤桂一)

辛子明太子は中洲で生まれた

「これ、言っていいんですかね。僕、山笠の『コネ入社』なんですよ」

水法被姿の青年が照れたように打ち明けた。

福岡博多名物・辛子明太子で知られるふくやの新入社員、岡崎大地(22)だ。

ふくやは、1948(昭和23)年、中洲での創業である。ふくやと博多祇園山笠は縁が深い。山笠の「中洲流(ながれ)」は、 翌49年に生まれた歴史の若い流だ。ふくやの創業者・川原俊夫は、この中洲流の立ち上げに尽力した中洲の住人のひとりである。 

俊夫は「山のぼせ」だった。「山のぼせ」とは、博多弁で「山笠に心酔する男」のことをいう。そして、俊夫の2人の息子=川原健相談役(73)、川原正孝会長(67)=も、俊夫の初孫で4月に代表取締役社長に就任した川原武浩(45)も、山笠とともに育った「山のぼせ」である。

山笠には、今年も川原家の3人をはじめ、20人ほどのふくや社員が参加していた。なかでも、若手をとりまとめる赤手拭(あかてのごい)という立場の岡崎ら、山笠の役職についている5人は、社業が 中元の繁忙期にもかかわらず、山笠がクライマックスを迎える9日から15日の間は半休や有給を使って山笠と職場を行き来する。

そればかりか、社長の川原は「男性社員は全員山笠に出るような会社にしたい」とまで言う。

いったい、なぜふくやは社員が山笠に参加することを奨励するのか。

山笠は理不尽、それでも大事

「そうです、新入社員の岡崎は、山笠のコネ入社ですよ」

社長の川原は笑った。

「彼にどれくらいの能力があるかはわかりません。でも、彼を入社させるかどうかというとき、驚くほどたくさんの人から『あいつば頼むばい』と言われました。あれだけ周囲の人たちから心配されるというのは、ひとつの能力だと思うんです」

山笠は776年前から続く、国際貿易都市・博多の祭りだ。無病息災を祈って、七つの流(地区)が「山」を担いで走り、速さを競う。「流」は500〜1000人で、地域と密接に関わる。各流は厳しく統率され、結束は固い。博多の男たちは、山笠を通して一人前の男になるよう鍛えられてきた。岡崎もその一人だ。

岡崎が所属する「西流」の相談役と呼ばれる幹部をはじめ、岡崎を知る多くの山笠関係者が、岡崎を気にかけて、川原に何かしら言いにきたという。

岡崎は、九州産業大学4年時の就活では就職先を決め切れなかった。

「サラリーマンは向いてないって思ったんですよね……」