照準は「25歳女性」名前は日本語で

1991年5月5日、欧米への「弾丸出張」に出た。ひと月前に常務に昇格し、レディス事業本部長となっていた。その際、紳士服事業本部長とともに、社長に「海外デザイナーのブランド品を輸入したり、ライセンスを得て生産したりという時代では、もうないかもしれない。時代に合った日本発のブランドをつくれないか、考えてくれ」と言われていた。

オンワードホールディングス会長 廣内 武

出張には、部下の幹部2人を連れていく。パリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨークとファッション最前線を視察し、最新情報を聴いて回り、1週間弱で帰国した。48歳。疲れを心配されたが、30代で海外事業部長を務め、過密な日程には慣れていた。というより、それまで海外ブランドの国内生産を立ち上げ、軌道に乗せることに打ち込んでいたから、久しぶりの海外は「水を得た」の感もある。沸々と、力が湧いてきた。

別に、海外の先端的な動きを採り入れよう、としたのではない。新鮮な刺激に触れながら「90年代という時代に合った日本発のブランドとは?」を、考えたかった。

答えは、意外に簡単に出た。

1人のデザイナーの品だけの店に、もう集客力はない。むしろ、コンセプトや味わいを統一した様々な品がある店に、人は集まる。そして、カジュアルな商品が、成熟した社会で主流になっていく。

同行した2人も、頷いた。

では、具体的にどんなコンセプトにすべきか。少数のメンバーを選び、議論を重ねさせる。「賢い消費者は、もう高額なブランド品を追いかけない」「それより、価格と品質のバランスを重視する」「自分のおカネで服を本格的に買い始めるのは、20代半ばだ」。バブル崩壊後の時代を貫く新ブランドのイメージが、徐々に形成され、「90年代の市場を主導し、成長の核となるのは25歳を中心とする若い層。その新たなライフスタイルに即したカジュアル製品を、生み出そう」と固まった。