日本のテレビドキュメンタリーで「戦争もの」は大きなテーマだ。今年6月に放送された2本の番組のうち、1本は88歳による「伝統の集大成」だったのに対し、もう1本はまるで『ドキュメント72時間』のように「ゆるい」番組だった。だが、コラムニストの更科修一郎氏は、後者に込められた「青臭さ」を評価する。その理由とは――。
ETV特集「“原爆スラム”と呼ばれた街で」(NHKウェブサイトより)

6月11日『テレメンタリー2017』(テレビ朝日)は、「もうひとつのヒロシマ~88歳ディレクター 執念の取材~」であった。

88歳のテレビディレクター、鈴木昭典がニュージーランドで70年間続いている「ヒロシマ・デー」というイベントを訪れる場面から始まる。原子爆弾投下後の広島に駐在した連合国軍はイギリス連邦軍が中心で、広島の惨状に衝撃を受けたニュージーランド軍兵士が帰国後に始めたのだ。

鈴木の視点は、なぜ、日本から遠く離れたニュージーランドで「ヒロシマ・デー」が続いているのか、という疑問へ踏み込んでいく。

現地の現代史研究家がマーシャル諸島の核実験後に生まれた奇形児(ジェリーフィッシュベイビー)の写真を紹介し、クリスマス島の核実験に参加した退役軍人たちへのインタビューが続く。そして、被爆の後遺症を抱える彼らへの染色体調査から、放射能被曝による染色体異常が彼らの子孫にまで影響していることが示唆される。その真偽はさておき、イギリス本国から離れたニュージーランドはイギリス連邦の核実験場であり、広島への原爆投下は遠い国の出来事ではなかった。

イギリスが撒き散らした呪いが結果として、別の遠い国の惨劇を語り継ぐ運動を創り出し、1987年、デビッド・ロンギ政権時代に非核法が成立したが、鈴木がその成立経緯を知るジェフリー・パルマー元首相と面会する日に「偶然」、日本の核禁止条約交渉不参加が伝えられた。元首相は「当然」、失望のコメントをつぶやく。非核法の理念の元になったのは、日本国憲法だったのに、と。

次に、鈴木はフランスが南太平洋で行っていた核実験を追っていく。1966年から193回の核実験を行ったフランスは、ニュージーランドなどの反対活動を受け、1996年、ようやく実験を停止した。フランス領だったタヒチ島の住民もまた、核実験の影響と思われる奇怪な健康被害を訴え、核実験被害者支援団体の代表やムルロア環礁の核実験場で働いていた男性へのインタビューが入る。

取材を終えた鈴木が、戦争体験者の矜持から核廃絶と平和を訴え、映像は終わる。テレビドキュメンタリーとしては模範的な構成だが、88歳のテレビディレクター、鈴木の作為が随所に見え隠れする。

そもそも、88歳のテレビディレクター、鈴木昭典とは何者なのか。

テレビドキュメンタリーの基礎をつくった男

鈴木昭典の名前は、日本のテレビドキュメンタリーの歴史の中に見つけることができる。

NHK『日本の素顔』の吉田直哉、日本テレビ『ノンフィクション劇場』の牛山純一のように、伝説化されてはいないが、朝日放送で『カメラルポルタージュ』(“ネット局腸捻転”時代のため、東京ではTBSで放送された)を手がけていた鈴木は関西の雄であった。

1960年代、『日本の素顔』『ノンフィクション劇場』『カメラルポルタージュ』で用いられた手法は三者三様で、互いに影響を与えながら、絡み合う「語り」と「映像」で「時間」を捉えようとしていた。そして、日本のテレビドキュメンタリーの基本フォーマットを作り上げていくのだが、鈴木が名を残している最大の仕事は、政治学者・五百旗頭真と組んで制作した終戦占領史のシリーズであろう。

「トップシークレット 救われた日本の分割占領」(朝日放送/1985年)では、アメリカ政府内部に於ける対日占領政策の推移を追い、定年退職後、自身の番組制作会社「ドキュメンタリー工房」で制作した「日本国憲法を生んだ密室の9日間」(朝日放送/1993年)では、ケーディス元GHQ民政局次長が自らの主導していた占領政策の正当性に固執する自己顕示欲もあったとはいえ、彼の部下であったベアテ・シロタ・ゴードンという無名の女性が人権条項の起草に携わっていた歴史的事実を発掘し、同名の単行本も刊行された。

その「ドキュメンタリー工房」で制作された新作「もうひとつのヒロシマ~88歳ディレクター 執念の取材~」は、日本のテレビが半世紀以上かけて試行錯誤してきた伝統的テレビドキュメンタリー手法の集大成と言える。

だが、伝統の集大成がすべて「正しい」とは限らない。たとえば、「もうひとつのヒロシマ~88歳ディレクター 執念の取材~」というタイトルがそうだ。

誰が付けたのかは知らないが、「日本国憲法を生んだ密室の9日間」で老いたケーディスが自己顕示欲を隠さなかったような、微妙な疑念を抱いてしまうのだ。より具体的に言うと、ドキュメンタリーの最後を戦中派の心境吐露でまとめてしまう作為は、同世代には共感されるのだろうが、そうでない世代には、カメラが捉えたそれまでの事実に濁った印象を付け加えてしまう危険性もある。

もっとも、洗練された技巧派の映画監督であった岡本喜八ですら、隙あらば戦中派の心境吐露を入れようとする悪癖があり、そのたびに観客を困惑させていたから、呪わしい記憶を抱えた世代の宿痾なのかもしれないが。