42年ぶりの13連敗。プロ野球・読売ジャイアンツが低迷している。1945年生まれで、「由緒正しい巨人ファン」を自認する元「週刊現代」編集長の元木昌彦氏は、巨人軍復活のための極め付きのアイデアがあるという。その中身とは――。

川上哲治にもらったキャラメル

私は由緒正しい巨人ファンである。父子2代であることはもちろん、小学校へ上がる前、父親が読売新聞社の野球部に入っていたので、多摩川の練習場に連れて行かれたことがあった。

父親が練習している間、大きなベンチに腰をかけて見ていると、反対側の金網の扉からユニホームを着たおじさんが近づいてきて、「坊や、何をしているんだ?」と聞いた。「お父さんが野球をしているのを見ている」というと、いったん戻っていった。

再びやってくると、手に一杯のキャラメルを抱えていて、私にくれるというのだ。敗戦から5、6年しか経っていない頃である。キャラメルはお菓子のホームラン王だった。

父親が戻ってきて、それを誰にもらったのかと尋ねた。向こうから来たおじちゃんからもらったというと、あそこは巨人軍の練習場だといった。背番号は覚えているか? たしか16番だった。父親は驚いた様子で「それは川上哲治だ」と教えてくれた。

私を熱烈な巨人ファンにしたのは赤バットの打撃の神様だった。長嶋茂雄が入団したのは私が中学に入学した年。1958年の西鉄との日本シリーズがいまだに忘れられない。

巨人の春季キャンプを訪れた長嶋茂雄氏(中央)と共に、練習を見守る松井秀喜臨時コーチ(左)と高橋由伸監督=2016年、宮崎市(写真=時事通信フォト)

西鉄のエース稲尾の不調で巨人は3連勝した。だが復調した稲尾と中西太の大活躍で3連勝、最終戦にもつれ込む。私はラジオの(鉱石ラジオだったか)イヤホンを通して、授業中にその試合を聞いていた。

6対1。稲尾の4連勝で西鉄が大逆転勝利した。負けた瞬間、涙があふれて止まらなくなってしまった。6時間目は担任の英語教師の授業だった。気の短いことで知られた担任は、私の様子を見とがめて、「元木、立て!」と怒鳴った。仕方なく立ち上がったが涙が止まらず、答えることができなかった。

隣の友人が「こいつ巨人戦を聞いていて、いきなり泣きだしたんです」というと、大きな笑い声が起こった。悔しくも懐かしい思い出である。

長嶋監督シーズン11連敗の理由

高校は、その当時の野球少年がみなするように野球部へ入った。一応甲子園を目指した。だが硬式でいきなり遠投をやり過ぎたために肩を壊し、私の夢は破れた。

長嶋の天覧試合はテレビで見ていた。巨人がV10を逃した日は、作家の山口瞳さんと小雨降るヤクルト球場で「中日優勝」のアナウンスを聞いた。今季で現役を引退する長嶋の姿が霞んで見えた。

長嶋の引退試合(中日とのダブルヘッダー)はバックネット裏で見た。記者会見にも出て、一番後ろで「長嶋さん、辞めないでください」と一人泣きながら叫んでいた。

川上から引き継いだ長嶋監督の最初の年は惨憺たるものだった。王が衰えを見せ始め、長嶋のいない巨人は、誰がやっても難しかったに違いない。

このシーズン11連敗を喫するが、これには理由がある。新浦壽夫という球の速いピッチャーがいた。長嶋は新浦をエースに育てようと、この年、先発、抑えとフルに使うが、ノミの心臓といわれた新浦は超ノーコンで、四球を続け、塁を埋めては打たれてしまう。私は何試合も後楽園へ見に行ったが、新浦を使い続ける長嶋に、ファンから心無い怒声が飛んだ。

最下位になった長嶋巨人だが、次の年は、新浦がエースにふさわしい活躍をし、移籍した張本功とともにリーグ優勝に貢献した。