野際陽子さんが亡くなりました。享年81歳。NHKのアナウンサーから女優へと転身。38歳で長女を出産したあとも、職業人であり続けました。男性社会が「都合のいい女」と「良妻賢母」という2択をせまるのに対し、野際さんは「媚びない、凛々しい、怯まない」という姿勢で、自ら新しい選択肢を示してみせました。河崎環さんによる野際さんの追悼コラムをお届けします。

キャリア50年以上の道のりを完走した81歳の女優の生きざま

野際陽子さん(1963年11月撮影、写真=Kodansha/アフロ)

6月13日、肺腺がんで亡くなった女優・野際陽子さんの訃報を、テレビドラマ『やすらぎの郷』を見ていた視聴者は想像もしなかったはずだ。「えっ、だってあんなに元気そうに出演していたのに?」。そしてその死が決して突然だったわけではなく、病に冒されながらも共演者の誰にもがん治療中であると悟らせずにドラマを撮り切っていたことなど、彼女の最期の瞬間までの凛とした姿が明らかになるにつれ、そこには美学としか言いようのない、キャリア50年以上の道のりをまさに完走した81歳の女優の生きざまを感じさせられただろう。

NHKの女性アナウンサーとして0.3%の狭き門をくぐり抜け、当時の上司・石田武さんの息子である俳優・石田純一さんからのちに「ちょっと普通じゃない美しさだった」と評されるほどの美貌と聡明さで、花形アナウンサーとして活躍。その後、4年でNHKを退職し、広告代理店を経て、女優へと転じる。留学資金200万円がたまったとして、念願のフランスへ留学し、語学学校へ通いつつソルボンヌ大学ではフランス古典文学を学んだ。

1年後、帰国した野際さんは「何かが彼女を変えた」と盟友・黒柳徹子さんが語るほどに吹っ切れたような輝きをまとい、その美しい脚の輪郭を惜しげもなく見せるミニスカート姿で飛行機のタラップを下りた。ツイッギーの来日に7カ月先んじたそのインパクトで、彼女は「日本におけるミニスカート第一人者」とも称されたそうだ。

誰もが見とれるような美しい人の美しい人生

その後、テレビドラマ『キイハンター』でのセクシーな諜報員役や歌手活動で一世を風靡し、共演の千葉真一さんと結婚。長女出産は38歳の時で、当時としては「芸能人最高齢の高齢出産」だったというから、それまでのキャリアも含め、時代の先駆けぶりに驚くばかりである。

私の世代(団塊ジュニア)には1994年のテレビドラマ『ずっとあなたを好きだった』の冬彦さんの母役の衝撃的なイメージが強く、意地悪な母親や姑役を演じたら絶品との評にはうなずける。でもその実、とてもユーモラスで温かく、共演者や仲間に好かれ慕われる女性だったそうだ。黒柳徹子さんとの長きに渡る交流で、『徹子の部屋』への出演は女性芸能人最多の21回に上る。

彼女の凛と尖った知的な美しさは年齢など超越したものだったので、80代だったと聞いて驚嘆した。よくよく考えると、1936年生まれの81歳でこれらの経歴を持つ女性とは、日本のキャリアウーマンとして先鋭中の先鋭ではないだろうか。

立教女学院から立教大文学部英米文学科へ進み、NHKアナウンサーになった彼女は誰もが認める美貌と知性を兼ね備えた、選ばれし女性だった。女優としての活動は誰もが知るところで、晩年も多趣味、美しさの維持にも余念がなかった。スポーツ報知はおくやみ記事を「誰もが見とれるような美しい人の美しい人生だった」と締めくくっている。

というわけで、余計なお世話と重々承知しつつ、今回の脳内エア会議のお題は「私たちは野際陽子というキャリア女性を知らなすぎたのではないか?」です。