経済産業省の若手職員の報告書が話題を集めています。タイトルは「不安な個人、立ちすくむ国家」。時代の閉塞感の表現として共感が広がる一方、その内容に疑問をもつ人も少なくありません。投資家・作家の山本一郎さんは、「志は理解するが、内容としては極めて雑で、多くの誤解がある」と指摘し、「幕末に浅学の藩士が藩の財政を憂いて書いた檄文のよう」といいます。その理由とは――。

本当に「人生のモデル」があったのか?

2017年5月、突然SNSなどで経済産業省の「次官・若手プロジェクト」によるペーパーが出回り、その内容の切実さや的確に表現された閉塞感が共感を呼び、大きな話題になりました。その後も、このペーパーの執筆者を交えたイベントが開催されるなど、活発な議論が続いています。

拝読した限りでは、熱い志を感じましたし、議論の方向性については素晴らしいものだと思いました。話題になるだけあるな、多くの人が賛同する内容に仕上がっているな、という雰囲気は強く感じます。

しかしながら、このペーパーには明らかな誤解が含まれており、ほかの省庁との(縄張り争いという名の)議論も活かされておらず、内容としては極めて雑であるのが残念です。特に社会保障については、各方面で行われている議論をまったく踏襲できていないばかりか言及もされていません。

「かつて、人生には目指すべきモデルがあり、自然と人生設計ができていた」というはじまりの文言から導き出される数々の仮説は、若い世代からすれば、衰退する日本社会に放り出される不安や懸念を的確に表現するものでしょう。不確定性に満ちた社会でこのあと半世紀以上の人生を過ごすうえで、「就業環境は流動的だ、年金にも不安がある」と言われれば、それはごもっともです。

翻って、これまでの日本社会に、人生の目指すべきモデルなど一度としてあったでしょうか。大企業を目指す、医師になる、国家公務員試験を受ける……。そういう右肩上がりの時代の常識はとっくに過去のものです。実際には1990年代から日本社会は「液状化」していたと言えます。

「不安な個人、立ちすくむ国家」より「『昭和の人生すごろく』のイメージ」

素人をだます独りよがりのペーパー

このペーパーの大きな誤解は3点に集約できます。1つめは「時代認識のおかしさ」、2つめは「データの扱い方のおかしさ」、3つめは「社会保障などの将来予測のおかしさ」です。

冒頭にも述べた通り「言いたいことは分かるんだけど、こんな根拠で大丈夫か」と言いたくなるような内容であり、社会情勢について理解のない人たちが「経産省の作ったペーパーはすごい」と情緒面だけで支持しているというのが実情ではないかと思います。あえて強く言えば、これまでの議論の積み重ねを知らない素人をだます独りよがりのペーパーであって、もしもこの問題に興味や関心のある人は、もっとしっかりした報告書、白書、関連書籍を読んだほうが良いでしょう。

順を追って説明します。1つめは「時代認識のおかしさ」です。ペーパーでは、1950年生まれと1980年生まれを比較していますが、そもそも1947年(昭和22年)の日本人の平均余命は男性50.07歳、女性53.96歳です。それが2015年には男性80.75歳、女性86.99歳と30年以上伸びていることを考えれば、1950年生まれの人の人生設計と2017年を生きる私たちの間で状況が大きく異なることぐらい誰でも分かります。終戦は1945年ですからね。その終戦の混乱からの立ち直りも終わっていない1950年生まれの人と現代人を比べてどうするのでしょうか。

※平成22年版厚生労働白書「平均余命の推移」
http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/10-2/kousei-data/PDF/22010102.pdf