内閣参与・飯島勲氏の連載「リーダーの掟」。飯島氏の新刊『ドン』(プレジデント社)の発売にちなみ、数回にわたり「日本のドン」について紹介している。今回は、飯島氏が秘書として仕えた小泉純一郎元首相が、厚生省(現・厚生労働省)の大臣だったときのこと。「厚生省のドン」と呼ばれた岡光序治事務次官(当時)の汚職事件が発覚し、厚生省は国民の信頼を失った。しかし、「根回しの岡光っちゃん」と呼ばれた岡光氏の働きぶりを、我々は批判するだけでいいのだろうか――。

朝日社説への疑問。できる官僚は疑え?

岡光事件によって、厚生省は国民からの信頼を完全に失ってしまった。朝日新聞には「『できる官僚』は疑おう」と題された社説が掲載された。

「収賄容疑で逮捕された厚生省の岡光序治前事務次官は、課長になる前後から将来の事務次官候補といわれていた。特別養護老人ホームの経営者から百万円を受け取って更迭された厚生省の和田勝・前審議官も、同期の中で次官候補だった」「官僚社会での『できる』という評価は、国民から見れば、悪いことやよくないことも平然と『できる』ということではないか」「霞が関の各省庁では、政策を実施するために、関係法案を国会で通すことが重要な仕事とされている。若い官僚は幹部の指示で、国会議員や関係の団体や業界への説明や根回しに走り回る」「政治家への根回しや業界とのつきあいがうまく、予算獲得や天下り先の開拓に手腕を発揮する人物が、『できる』とされる。評価された若手は、やがて大臣秘書官や各局の国会対策担当に任命され、政治家や業界との折衝技術に磨きをかける」「政・官・業の癒着構造の中心にあるらせん階段を『できる官僚』たちが上ってくるのだ」(1996年12月8日)

この社説を実践すると、官僚組織で不正をなくすには、仕事をしない人・できない人を出世させるほかはないという結論になってしまう。平時にあっては、この完全に常軌を逸しているとしか思えない議論をする社説を否定するのは簡単だが、当時の時代状況がそれを許さなかった。大臣秘書官であった私は、国民からの厚生行政への信頼を取り戻すと同時に、官僚たちのやる気も引き出さなくてはならなかった。

※ここまでの経緯は「記者100人を騙し通したわが孫子の兵法」(http://president.jp/articles/-/22063)、「飯島勲直伝「スキャンダル報道の潰し方」」(http://president.jp/articles/-/22096)、「収賄事件はどのような捜査が行われるか」(http://president.jp/articles/-/22144)を参照

しかし、厚生官僚に厳しい処分を下せという圧倒的な世論に押される形で処分を下してしまうと、厚生官僚は萎縮して仕事ができなくなってしまう。かといって甘い処分を下すと、国民世論がそれを許さない。この相矛盾する2つの問題をどうやって解決するか、私は非常に悩んだ。